TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。詩人の清水哲男さんについて。
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パーソナリティにしてもディレクターにしても、ラジオに関わる者ならば誰でも憧れ、手本にした清水哲男さんが亡くなった。
清水さんは「水甕座の水」でH氏賞を受賞した詩人だった。
1979年から約11年間、朝のワイド「FMモーニング東京」のパーソナリティを務め、磨かれ吟味された詩人の言葉が月曜から金曜の朝、電波に乗った。
この番組に配属されて、僕は生きている詩人を初めて見た。背が高く、痩身を上下のブルーデニムに包み、颯爽としていた。京大時代、学生運動に身を投じ、60年安保で機動隊に殴られた頭がときどき痛むと言っていた。「全国から安保反対と大学生が集まってね、各大学の旗が国会前ではためいていてね」
僕は水曜の担当だった。放送原稿を徹夜で書き(何しろ詩人が読むのだから何度も書き直し)、朝7時からの番組に臨む。
驚いたのは、拙(つたな)い僕の原稿が清水さんにその場で直されて生き返り、瑞々しく躍動しながら首都圏の空に発射されていくことだった。
番組は9時に終わる。打ち合わせを終え、清水さんは僕と居酒屋に繰り出した。昼から営業している養老乃瀧吉祥寺店でビールを飲み、ハイライトをふかしながらサインペンで何やらさらさら書き出した。それは詩だった。
「味わい深く、鋭い切れ味」と評される現代詩が生まれる瞬間を目の当たりにして、ドキドキした。
清水さんは雑誌でコラムも連載していた。「同じテーマで君も書いてみたら」。文章教室が始まった。プロの書き手といかに違うか、毎回思い知らされた。
無類のビール党だった清水さんは、どんなに遅く帰宅しても冷蔵庫から小瓶を取り出し、シュッと蓋を開けたそうだ。
河出の編集者出身だったから当時気鋭の高橋三千綱さん、村上龍さんを、川崎洋さん、白石かずこさん、ねじめ正一さんといった「生きている」詩人にも会わせてくれた。