けれども法廷では弁護士が必要だ。宗教家は赦(ゆる)しを説くだろう。加害者に興味をもつ文学者や心理学者も現れるかもしれない。その状況は遺族には不快かもしれない。しかし「どっちもどっち」論ではない。むしろそのような視点の多様化こそが悪の理解に寄与し、悲劇の反復を防ぐというのが、人類が獲得してきた叡智(えいち)である。
今次の戦争は歴史の大きな転換点である。世界中が注視している。当然さまざまな見方が出る。いまこそ安全保障のリアリズムを語るべきだというひとがいれば、戦争の不条理さから始めるべきだというひともいるだろう。政治学者と映画監督では自(おの)ずと注目箇所が違う。デマや事実誤認は正す必要があるが、議論の多様性まで排除してはならない。
東京大学の池内恵教授は河瀬発言を批判し「侵略戦争を悪と言えない大学なんて必要ない」とツイートしている。そのとおりだ。しかし同時に、侵略戦争を悪と言うだけのひとばかりになってしまったら、そんな大学もまた必要ないと思う。
◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2022年5月2-9日合併号