ヤネケが生きた時代は、産業革命の波がベルギーにも押し寄せ、労働者が機械に仕事を奪われる一方、多くの機械を揃えた資本家に富が集中するなど格差が広がっていた。またフランス革命は、人民主権、自由主義、法の下の平等など新しい価値観を広げ、こうした流れに反対する国家や個人との間に分断も生んだ。

 これらも、人工知能の発達により多くの労働者の仕事が奪われる未来が間近といわれ、様々な社会問題で分断が生じている現代の日本を彷彿させる。合理性と科学的な思考で激動の時代を生き抜いたヤネケの人生は、厳しさを増す現代とどのように向き合うべきかのヒントも与えてくれるのである。

 ヤネケとヤンは結婚しなかったが、物語が進むと、ヤンが義父の事業を継承した後も、数学が得意なヤネケが帳簿をチェックして経営のアドバイスをし、ヤンがヤネケの研究成果の発表や生活を手助けするなど、長く良好な関係を続けたことが分かってくる。それと同時に、ヤネケの拠点になったベギン会が、貧しい女性に仕事を与え、少女たちに勉強を教えるなど女性福祉に関する活動を行っていた事実も浮かび上がってくる。

 日本では法律上の夫婦、家族が重視されがちだが、「夫婦別姓にしたい」「パートナーが同性だから」などの理由で、婚姻届を出さない(出せない)カップルは少なくない。また家族が暴力、介護、金銭などで揉めると逃げ場がなく、外部の目が届かないので泥沼になることは珍しくない。結婚しなかったが互いを尊重したヤネケとヤン、相互扶助で理想的な共同体を作ったベギン会は、法的な裏付けがある伝統的な夫婦、家族を尊重すべきという常識を見直す切っかけになるようにも思えた。

週刊朝日  2022年5月27日号