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 文芸評論家・末國善己さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『喜べ、幸いなる魂よ』(佐藤亜紀、KADOKAWA 2090円・税込み)。

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 ナチス政権下で敵性音楽のジャズに興じたドイツの少年たちを活写した『スウィングしなけりゃ意味がない』、第2次大戦末期、ユダヤ人から没収した財産をハンガリー政府が国外に輸送した史実を題材にした『黄金列車』など、ヨーロッパ史の知られざる一面に光を当てている佐藤亜紀の新作は、寡婦や身寄りのない女性が自活しながら半聖半俗の共同生活を送ったベギン会に着目している。

 18世紀。ベルギーの都市シント・ヨリスで亜麻糸商を営むファン・デールには双子の姉弟ヤネケとテオがいたが、昔の相棒の息子ヤンを養子にした。双子は頭がよく、特にヤネケは天才だった。

 生物の繁殖に興味を持ったヤネケは、ヤンを誘い肉体関係を持つが、それが思春期らしい淡い恋愛でも、セックスへの興味でもなく、知的好奇心を満たす実験のようになるので、アンチポルノになっているのが面白い。妊娠したヤネケは、息子レオを産むと里子に出し、ベギン会に入る。

 当時の女性は、結婚して子供を産み、家庭を守るのが役割だと考えられていた。これに対しベギン会の女性たちは、所属している間は純潔を守り、仕事をして生活費を稼いでいたため、批判と嘲笑を浴びることがあった。ヤネケがベギン会を出たら結婚するつもりだったヤンだが、ヤネケにその気はなく、女性は論文を発表することができないので、大学に進んだテオの名義で確率論を書き進めるなど、自立の道を模索し始める。

 女性は男性より劣っていると見なされていた18世紀のヨーロッパは、憲法で性差別が禁止されているものの、他の先進国と比べ男女平等が遅れている現代日本に近い。それだけに、卓越した頭脳と行動力で男たちを圧倒するヤネケが、女性差別が常識だった時代を好きな研究に打ち込みながら軽やかに渡っていく展開は、不当な差別を受けていると感じている読者は痛快に思えるのではないか。

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