財布と呼べるものはイタリアの良質な革小物ブランド「イル ビゾンテ」のカードケースのみ。ザ・キャッシュレスなのに、紙製の「餃子の王将」のスタンプカードが一番手前に入っていた(撮影/写真部・加藤夏子)
財布と呼べるものはイタリアの良質な革小物ブランド「イル ビゾンテ」のカードケースのみ。ザ・キャッシュレスなのに、紙製の「餃子の王将」のスタンプカードが一番手前に入っていた(撮影/写真部・加藤夏子)

 ライブドアは銀行員時代に担当した取引先のうちの一つだった。

「株式上場のお手伝いをした縁もあり、旧知の経営陣に不動産投資を提案しました。投資は断られましたが、代わりに入社しないかと誘われて(笑)。

 そのときは『嫌です』と断りましたが、半年経って再びライブドアから電話がありました。『不動産投資は失敗だっただろうから、こっちに来ないか』と。今度はOKしました」

 石村さんは銀行員から大工へ転職したあとも、ライブドアとは不思議な縁があった。

「FX(外国為替証拠金取引)の新事業をやるから宣伝してくれと頼まれ、東京からチラシが送られてきたことも。ボランティアですよ、なんなんでしょうね(笑)」

 大方の人は断りそうだが、石村さんは近隣のマンションにポスティングして歩いたという。

 大工からライブドアに転職し、FXを担当した。図らずも自らチラシをまいていた新事業。当時、金融部門で5人目の社員だった。

「FXは当初のシステム開発に失敗し、仕切り直しになりました。それに伴い、システム開発会社のある中国行きを命じられ、2年ほど滞在していました」

 ここで、またも事態が急変。粉飾決算の疑いで2006年1月に東京地検が強制捜査に乗り出したのを機に、ライブドアの株主がプライベート・エクイティ・ファンドに変わったのである。それによりFX事業の撤退が決まり、どこかに売却することになった。

「ここでFX事業の売り手探しをしてくれと言われました。でも、買い手は簡単に見つからなかった。そこで発想を変えて、自分で買い取ることにしました。8500万円の買い物です」

 発想を変えて、って。軽やかに語るが、その値段……。

「自己資金2000万円では足りず、知り合いからもお金を借りました。当時30代半ば。結婚直後だったので妻は驚いていました」

 妻でなくとも、驚く。こうして石村さんはFX会社のトップとなった。米国系金融大手OANDAの出資を得て、OANDA日本法人の社長という肩書だった。そこでまたもや転機が待ち構える。

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