昨年11月に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんを追ったドキュメンタリー映画が5月27日に公開された。17年間瀬戸内さんを追い続けた中村裕監督と、「寂庵」の秘書・瀬尾まなほさんに聞いた。
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「はじめて(瀬戸内)先生にお会いしたのは2004年でした。瀬戸内寂聴というお名前はもちろん知っていましたが、それほど興味はありませんでした。元気なおばあさんというイメージで、いざお会いするとなったとき、とてもコワイ人ではないかと思い、おじけづきました。僕は当時オドオドしていました。それが映像にも出ていますね」
「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」の監督・中村裕さんは、初めての出会いについてそう話した。
そのときの撮影で新幹線で一緒に移動しているとき、瀬戸内さんに「私が書いているところ撮らなくていいの?」と話しかけられた。もちろん作家が執筆しているところは撮りたいに決まっているので、改めて秘書やスタッフの人に聞くと、もう何年も書いているところを撮らせていないので無理だと言われた。
「でも、先生は『撮りにいらっしゃい』とおっしゃって、何だか僕は気に入られているのかもしれないと思いました」
その出会いの翌年、NHKの旅番組の海外取材を瀬戸内さんに打診することになった。
「恐る恐る話を切り出すと、先生はフランソワーズ・サガンが好きだと話し、すぐに行き先はフランスと決まり、1カ月先のスケジュールを空けてくれ、現地に行きました。その後、世阿弥に関する取材で佐渡島にもご一緒したのですが、そこで本当に親しくなった感じですね」
中村さんは、瀬戸内さんに受け入れられた理由を、何も求めなかったからではないかと分析する。
瀬戸内寂聴を撮影するとなると、いろいろとオーダーしたくなる。中村さんはそういうことを一切しなかった。
「この人、私に何も言わないけど大丈夫かなと心配したんじゃないでしょうかね」