その言葉どおり、瀬戸内さんは何かにつけ中村さんを気にかけるようになった。06年に「私に何でも聞いて番組を1本作りなさい」と言われ、09年には「死ぬまで撮りなさい」となり、以来、機会があるごとに瀬戸内さんを撮影するようになった。撮影スタイルはクルーを引き連れてというのではなく、自分ひとりでカメラを持ち、京都の寂庵を訪れ、プライベートで会うかのようであった。

 映画の話が出たのは19年ごろだった。どんな内容にするかは決まっていなかったが、「映画にしようと思います」と伝えた。

「どうぞ、おやんなさい、私が死んだら何をやってもいいよと話されました。でも、先生が亡くなってから好き勝手にやるつもりはないですともお伝えしました。100歳の誕生日である今年の5月15日に公開して先生に見てもらおうと漠然と考えていました」

 だが、その願いはかなわず、瀬戸内さんは100歳の誕生日を迎えることなく、この世を去った。

「先生が亡くなったと聞いて、実感はなかったのですが、モチベーションがなくなったのは事実です。それでも(昨年)6月8、9日の、結果的に最後の撮影となった映像素材を見ていたら、先生が僕を叱責していたのです。『もっと計画的にやりなさい。あなたがやるなら本気でやりなさい。臨終のシーンを撮りたいなら、今から手配しますよ。私、あなたが思っているほどそんなに長生きしないわよ』と。それで、これはやらねばと改めて思いました」

心の底から笑う瀬戸内さん、周りの人も楽しくなる (c)2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会
心の底から笑う瀬戸内さん、周りの人も楽しくなる (c)2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会

 瀬戸内さんは、なぜここまで中村裕という人物に心を許したのだろう。13年から寂庵で瀬戸内さんの秘書を務めてきた瀬尾まなほさんは、中村さんについてこう話す。

「中村さんは、私のような同性では埋められないところを異性として埋めることができて、慰められたと思いますね。それでいて中村さんが独り身であることを心配したり……。心のよりどころのような存在だったのでしょうね」

 中村さんがアポも取らずひょっこり寂庵を訪ねた際には、満面の笑みで出迎えていた。

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