その後も乳業会社の事務、4トントラックの運転手といった仕事をしながら10代から20代を過ごしたものの、なかなか充足感は得られなかった。
「自分の能力を発揮していない、というのがつらかった。何をやってもしっくりこないし、続かないし。給料も安くて、あんまり生きている意味はないし、きついなあ、と思ってました。仕事は、自分なりにてきぱきできていたと思うけれど、時給894円じゃお金は貯まらないし、将来に対する不安はものすごくありました」
■大学を目指し勉強を再開 30歳で司法試験に合格
この頃、たまたま出かけた先で手相占いをしてもらったことがあった。そのとき、五十嵐は占い師から「あなた、大物になれるね」と言われたことが心に残っていた。
「浅田次郎さんの『蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)』を読んだときに、その占いのことを思い出したんです。やはり、貧しい少年が占い師に『天下の財宝を手中に収める』と予言される物語で、実はそんなことは占い師には見えてなかったというオチなんですけど、未来を信じれば、運命は変えられるという話です。私も心のどこかで、その占いを信じた。猛勉強しようと思った。自分の力が発揮できるのは、勉強ぐらいしかないなと思ったし、大学へ行った同級生たちよりも、自分のほうがやったらできるかも、という思いもあったから」
五十嵐の中では、もっと上の世界の扉を叩いてみたいという思いが日に日に強くなっていく。22歳になった五十嵐は、大学をめざし、高卒認定試験を受けるための専門予備校に入る。
五十嵐が進学先に選択したのは、地元の国立、静岡大学夜間主コース。働きながら学ぶためには、学費が安いことが絶対だった。
大学に通ううちに自尊心も身につき、司法試験という目標もできた。簿記と行政書士の資格は3年のときに早々にとってしまった。
翌年、五十嵐は、名古屋大学法科大学院へと進む。優秀な学生たちに囲まれながら、遅れてきた学生は、改めてこう思ったという。
「初めてそういう恵まれた環境に身を置いたわけですけど、そこでもそこそこ通用したということは自信にもなった。自分の中では、大学というのはひとつのコンプレックスでもあったけど、ルートの違う自分でも、法学の世界で戦えば、まあ戦える、ということがわかったのも嬉しかった」
14年、五十嵐は30歳で司法試験に一発合格する。
(文中敬称略)(文・一志治夫)
※記事の続きは「AERA 2022年6月13日号」でご覧いただけます。