左から王貞治、落合博満、金本知憲
左から王貞治、落合博満、金本知憲
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 西武山川穂高が5月27日のDeNA戦で「1試合4四球」と警戒された。ヤクルト村上宗隆も6月1日のロッテ戦で2敬遠を含む「1試合4四球」だ。相手が強打者だからこそ投手は厳しいコースを突く。通算四球断トツの王貞治(2390個)、2位の落合博満(1475個)、3位の金本知憲(1368個)と、野球史に名を残す強打者ほど多くの四球を選んでいる。過去の四球にまつわる数字を振り返ってみた(記録は6月6日現在)。

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「四球」と聞くと、松井秀喜の1992年夏の甲子園での「1試合5四球(5敬遠)」を思い浮かべる人は多いだろう。ルールの範囲内だが、「高校野球らしくない」と物議を醸した。しかし、松井はバットを一度も振らずとも、強打者であることを日本全国に知らしめた。

 プロ野球最多は91年の「1試合6四球」だ。三冠王3度の落合は、セ初の首位打者を狙っていたが、ヤクルト戦で歩かされて最終的に打率.3395の2位。首位打者に輝いたのは古田敦也で打率.3398だった。当時、ヤクルトの監督だった野村克也には「地位が人を育てる」の持論がある。首位打者獲得という自信がプラスされた古田は、その後、通算2000安打を記録する選手に成長した。

 野村監督自身、南海時代の65年、三冠王獲得時に阪急のスペンサーと熾烈な首位打者・本塁打王争いを演じた。「8打席連続四球」と勝負を避けられたスペンサーは、直接対決の試合でバットをさかさまに持って無言の抗議をしたが、南海バッテリーは敬遠した。当時は「外国人選手にタイトルを取らせるな」という風潮があった。三冠王・野村の首位打者獲得はこの一度きりであった。

 ほかにも88年首位打者争いで、阪急の松永浩美が「11打席連続四球」で打率.326(ロッテの高沢秀昭が打率.327)。84年本塁打王争いでは、ともに「10打席連続四球」の阪神の掛布雅之が37本、中日の宇野勝も37本だった。「夢を提供するはずのプロ野球なのにファンに対していかがなものか」と、以降2選手が並んだときは、同数でタイトルを取らせるような意識が生まれた。

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