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 ライター・永江朗さんの「ベスト・レコメンド」。今回は、『名もなき子』(水野梓 ポプラ社、1980円・税込み)を取り上げる。

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 高齢者施設で不審死が相次ぐ。同じ施設ではなく、あちこちの施設で。死因は呼吸不全。やがて犯行声明が出る。そこには、生産能力のないものには価値がないと記されている……。水野梓の長編小説『名もなき子』は、この事件の真相を追うテレビ局の記者が主人公である。

 ある日、彼女は、高熱で苦しんでいる青年を助ける。救急車を呼ぶことを強く拒む彼には戸籍がない。連続不審死事件と青年の戸籍探しという二つの謎解きがストーリーの軸だが、その過程で主人公は現代日本が抱えるさまざまな問題・課題を突きつけられる。

 貧困、家庭内暴力、幼児への性的虐待、出生前診断、安楽死、介護ロボット、暴走する正義感、等々。主人公自身も夫を事故で失ったワーキングマザー。母の手を借りつつ超多忙で変則的な仕事を続けている。

 たくさんの問題・課題を織り込んでいるが、雑多な感じはない。どれも命につながるものだからだ。主人公が同僚にいう。「なくなったほうがいい命なんてない」と。小説全体を貫くメッセージでもある。

 小説の犯行声明は高齢者の医療費の多さを批判する。同じような意見は現実の世界でもときおり目にする。そういえば3年ほど前には、終末期医療はお金がかかりすぎだからやめろ、などという事実にもとづかない議論があった。

 だが「なくなったほうがいい命なんてない」という大原則が否定されたら社会は崩壊する。高齢者の次は障害者や病人が標的にされ、やがて少数者や弱者がドミノ倒しのごとく狙われていく。そうなる前に、高齢者と若者の対立を煽ってほくそ笑んでいる者をあぶり出せ。

週刊朝日  2022年6月17日号