「支えることなんて、できないかもしれない。助けるなんて、もっと無理。でも、一緒に時間を過ごすことはできるかも」
そうして始まったのが、ジャックさんを囲むリンガラ語教室だった。
身近な人に声をかけた。真っ先に駆けつけたのはスポーツライターの熊崎敬さんと、テレビディレクターの野溝友也さん。金井さんを含めた3人でジャックさんを招き、最初のリンガラ語教室を開いたのは2021年6月だった。辞書も教科書もない。ジャックさんの口から出た単語に意味を当て込み、想像力と経験値で言葉に仕上げていく。初めて耳にするリンガラ語に魂を吹き込んだ。
それから1年。リンガラ語を学ぶ仲間は増えた。覚えた言葉も増えた。ジャックさんの教え方もさらに上手になった。でも、ジャックさんは仮放免のままだ。裁判も終わらない。
国は何もしてくれない。だから、みんなでジャックさんとつながる。それしかできない。
政府はウクライナから避難してきた人々を「準難民」として保護する制度の創設を進めている。なにが「準」だと言いたくもなるが、戦争から逃れた人を受け入れるのは大歓迎だ。当然じゃないか。帰りたくとも帰ることのできない人がいる。ならば助け合って、共に生きていく。それが社会というものだ。
ならば、ジャックさんは――。
弾圧から逃げてきた。家族を殺された。祖国はまだ不安定なままだ。そこに帰れと日本は言うのか。助けてほしいと願う人に、出て行けと言うのか。ジャックさんだけじゃない。様々な国の様々な人が、日本に助けを求めては拒まれる。
その日、私たちは“授業”の合間に、芝生の広場でサッカーボールを蹴って遊んだ。
太陽がまぶしかった。私は力いっぱい、足を振り上げる。「モコ!」。芝生の上をボールが不器用に跳ねる。「ミバレ!」。ボールに追いついたジャックさんが笑顔で蹴り返す。きれいな放物線を描いてボールは私の足元に落ちる。「ミサト!」。今度は正確に、狙いを定めて蹴り上げる。
私たちはつながっている。笑って、走って、追いかけて、ぎこちなく言葉も紡ぎながら、一緒に生きている。
そんな日常をいつまで続けることができるのだろう。誰も口にしない。考えたくない。
だが、入管に収容され、強制退去させられるジャックさんの姿を想像しないわけじゃないのだ。