
都内の会社に勤める女性(28)の近くにも、野球上司がいる。仕事中にふらっとやってきて、
「打席に立て! 空振りでもいいからバットを振れ!」
と激励して去っていく。「ありがたい言葉ではあるけれど」と前置きしながら、こうこぼす。
「ニュアンスというか、言わんとしていることはわかります。でも、野球をしたことがないから、本当に理解できているかどうかは怪しい」
“令和の怪物”と呼ばれる佐々木朗希や二刀流の大谷翔平などの有名選手はもちろん知っている。だが、細かいルールや往年の名選手のことはよくわからない。正直ピンとこないのだ。
しかも、こんな弊害も。
「話の内容よりも、またこのたとえか~と面白くなっちゃうんですよね」(女性)
相手に伝わらなければ、たとえ話の効果は半減。なぜたとえてしまうのか。龍谷大学文学部教授で、ビジネス心理学が専門の水口政人さん(48)は言う。
「人間の記憶は、映像で思い浮かべたことが残りやすい傾向にあり、言葉より野球の場面を使って説明することでコミュニケーションが円滑に進んだ成功体験があるのでしょう」
■野球たとえは処世術
40~50代の上司世代にとって、娯楽といえば野球だった。そんな水口さんも、子ども時代から野球を続ける生粋の野球好き。かつて勤めた大阪の会社では、阪神ファンの取引先との会話に備え、経済新聞だけでなくスポーツ紙も読み込んでいた。受けが良いからと、事あるごとに“王・長嶋”の話を挟む若手社員を見たことも。
「もちろん当時のことは知らない世代。ただ、野球のたとえは会話パターンの一つで、何にたとえるかは本質ではない。互いに良い関係を築きたいと思えば、いまいちなたとえでも潤滑油に変わる。向き合う前から毛嫌いするより、いっそ胸元にズバッと投げ込んでみては」
処世術としての野球たとえ。斜に構えるより、まずはバットを振ってみます。
(編集部・福井しほ)
※AERA 2022年6月20日号