ロシア外務省が包括的な外交方針の見直しを決めた背景には、プーチン大統領が軍事作戦の長期化に備える覚悟を固めたことがあるだろう。
プーチン氏は2月24日にウクライナでの「特別軍事作戦」に着手した際には、短期決戦を思い描いていたはずだ。数日のうちに首都キーウを制圧し、ゼレンスキー大統領を排除。自らに都合のよい暫定政権を樹立するといったシナリオだ。
プーチン氏が思い描いたのは、1968年の「チェコ事件」だったかもしれない。当時、社会主義陣営の一員だったチェコスロバキアで始まった「人間の顔をした社会主義」を求める運動(プラハの春)を、旧ソ連など東側の軍が武力でつぶし、改革路線を転換させた事件だ。
8月20日、ソ連、東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、ブルガリアの5カ国軍が一気にチェコスロバキアに侵入。翌朝までに改革派指導者ドプチェク氏らを拘束し、ソ連に連行した。
この時動員された兵士は約20万人。くしくも今回ウクライナ侵攻作戦に参加しているロシア軍とほぼ同じ規模だ。
チェコ事件当時、国際社会からソ連を批判する声は上がったが、長続きはしなかった。チェコスロバキアをソ連の勢力圏として容認する考えが欧米でも共有されていたという事情もあった。
プーチン氏も今回、キーウ制圧という既成事実さえ作ってしまえば、国際社会の反発は長続きしないと踏んでいたのではないだろうか。
しかし作戦開始後100日を経ても、ウクライナ側の抵抗はいっこうに衰えず、欧米からの軍事支援が続々と届いている。ロシアへの制裁も強化される一方だ。
これはプーチン氏にとっては大きな計算違いだったろう。
このところ、プーチン氏と周辺からは、作戦の長期化やむなし、という声が相次いでいる。
軍事作戦は計画通りに進んでいると強弁してきたプーチン氏自身、最近のインタビューで、欧米からの武器支援が戦闘を長引かせていることを認めた。