コロナ禍のせいで──というと誤解があるかもしれないが──人が大勢集まる会などはここ数年、ことごとく消滅してしまった。代表的なものといえば結婚式やお葬式かもしれない。特に結婚式は、平成の頃から「ジミ婚」なる言葉も流行ったり、進化した「ナシ婚」も今や普通になりつつあるらしい。
○婿を捉えるための「三日夜餅」儀式
そもそも現代日本人の常識として頭に浮かぶ「神前結婚式」の歴史は長くはない。日本の結婚式の歴史を簡単にまとめれば、奈良時代にまでさかのぼれる。とはいえ奈良時代の結婚は、夫婦が同居するものではなく、夫が妻の元へ通い、3日目に妻の家族から餅を振る舞われ婿として迎えられるというものだった。この餅は「三日夜餅(みかよのもちい)」と言い、婿を捉えて同族にするという呪術のようなものと考えられている。時代はくだり、鎌倉時代になると妻が夫の家に入ることも増え、嫁入り・嫁取りといった言葉も記録に残るようになる。室町・戦国時代には、結婚は家と家との結びつきが重要視されるようになり、妻が夫の家に輿で入るような形となった。
○開国ととも海外のしきたりも渡来
江戸時代には、結納や引き出物も普通のこととなり、結婚式は夫の家で夜に行われるもので、夫婦の儀式に過ぎなかった。これが現在の「結婚式」の形となったのは、キリスト教的な結婚式を日本の神道の中で取り入れる試みがなされた大正天皇の結婚式後のことである。大正天皇は明治天皇の第三皇子であるが、15人の兄弟のうち成人したのは皇女4人と大正天皇のみという重圧の中で成人された。このため、皇太子妃は健康であることが条件とされていたとか。
○神前での結婚の報告の儀式
そして明治33(1900)年5月10日、九条節子(後の貞明皇后)さんと宮中の賢所で「賢所大前の儀」が行われた。これは前年制定された法令に基づいた、歴史上初めてとなる神前挙式であり、続けて伊勢神宮や天皇陵、泉涌寺などへ結婚の報告を行うなど全国を行啓、この儀式と行程は新聞で大きく取り上げられ、人々の関心を呼んだ。翌年、大正天皇の結婚の儀に倣い、一般人向けに新しい神前の結婚式が日比谷大神宮で創案され開催されることになるのである。媒酌人と新郎新婦、両家親族による式のあと、帝国ホテルで披露宴が執り行われて、現在にも続く形が初めて披露された。