photo (c)PLACE TO BE, Yang Yonghi
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 大阪でひとり暮らす母が突然語り始めた70年前の壮絶な体験。それは韓国現代史最大のタブーと言われる「済州4・3事件」だった。在日コリアン2世のヤン ヨンヒ監督が母との日々などをユーモラスにちりばめながら、家族のイデオロギーの「もと」になった事件を探ってゆく──。連載「シネマ×SDGs」の10回目は、自身と家族の物語を描いてきたヤン ヨンヒ監督に、最新作『スープとイデオロギー』について話を聞いた。

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 私が「済州4・3事件」を知ったのはニューヨーク留学中です。初めて聞いたとき「光州事件と間違っているのでは」と思ったほど何も知らなかった。在日社会でもタブーだったし、両親も語りませんでした。でも父が亡くなったあと、母がぽつりぽつりと4・3について話し出したんです。「実はあそこにおってん」「婚約者がおってん」と。びっくりしました。

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 母の話を聞くうち、両親が北朝鮮を選んだことに4・3が関係しているなと感じました。特に母は事あるごとに「韓国は残酷や」と言い、K-POPも韓流ドラマも嫌っていた。壮絶な経験を経ての韓国への拒絶が「北」を信じた理由のひとつだったのか、と。新たな課題を突きつけられた感じで、映画にすべきだと思いました。

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