ゼレンスキーによる一連の人気回復政策が問題
ミンスク合意は、ウクライナ東部で起きたドンバス戦争を停戦させるため、14年にベラルーシの首都ミンスクで調印されたものだ。ドンバス地方は、親ロ派のドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が実効支配し、ウクライナ政府と対立している。14年の合意ではウクライナ、ロシア、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国、OSCE(欧州安全保障協力機構)の代表が調印し、翌15年にはドイツ、フランスが仲介して「ミンスク2」が調印されている。合意内容には、停戦とともにウクライナの憲法を改正し、ドンバス地方に“特別な地位”を与えると規定している。
ウクライナの東側、ドネツク州とルガンスク州はおよそ3割がロシア系だが、「人民共和国」とした地域に限ればクリミアと同じく7割を占める。彼らはドンバス地方の東側50キロほどをぶん取ってロシアとの間に緩衝地帯をつくっていた。この地域に自治権を認めるというのがミンスク合意だった。
ところが、19年に大統領になったゼレンスキーは「あの合意はウクライナが不利な条件を押しつけられたもの」と公然と言い出した。苦労して調印した合意を反故にするのだから、プーチンから見れば、大馬鹿野郎だろう。
ロシアの議会は「ウクライナ政府が彼らの自立を認めないなら独立宣言させる」と決め、プーチンは侵攻の1週間ほど前にこれにサインした。ゼレンスキーがすぐに自治権を与えていれば、あるいは当事者であったメルケル独前首相がすぐに仲介に動いていれば、プーチンも侵攻するほどイライラを募らせることはなかっただろう。
日本のメディアは「プーチンは理解不能」「ウクライナのNATO加盟申請が最大の問題」などと報じているが、ゼレンスキーによる一連の人気回復政策が問題なのだ。彼が大統領になってからの流れを追えば、プーチンが憤激した背景が理解できるだろう。
一方、ロシアのウクライナ侵攻からのゼレンスキーの役者振りは素晴らしい。ネットで神出鬼没し、世界中に救助を訴えている。シナリオもわかりやすいし、好感が持たれる。いつの間にか支持率は90%を超え、今世紀まれに見る指導者だ、という見方が定着しつつある。
半面、プーチンは正常な判断ができなくなったのではないか、孤立しているのではないか、ロシア国内で反プーチンのクーデターが起こるのではないか、と評価が完全に逆転してしまった。ウクライナ人の「祖国を守る」勇気が想像以上であったし、アメリカもNATO軍は派遣しないが、ウクライナが使える近代兵器など一式を大量に送り込んでいる。その結果、ロシアが泥沼に入り、22年3月末現在は南部の一部だけでももぎ取れればいい、という線まで後退している。