結果として、最終的な決断に至ったのは、北京オリンピックが終わってからです。北京オリンピックが終わって、帰ってきて、しばらくして、自分の足首を治すための期間として、治すための期間というか、痛くて滑れなかったので、その期間の中でいろいろと考えたときに、もう別にここのステージにいつまでもいる必要はないかなと思って、よりうまくなりたいって、より強くなりたいって思って、決断をしました。
実際に先日ファンタジー・オン・アイスというものがあったんですけども、そのときに滑らせていただいたときが、自分がアマチュアスケーターとして滑らせていただくのは、対外的に最後だったんですけど、そのときに、改めてより高いステージに立ちたいなと。よりいっそう努力したことが、ちゃんとみなさんに伝わるステージにいきたいなと思いました。
ありがとうございます。すみません。
――オリンピックでもメダルをとって、様々な記録も打ち立てられて、どこかで満足するのかと見ていましたが、より強く、より高くというイメージが強いが、羽生選手の何がそこまで駆り立てたのでしょうか。
それはアスリートだからなのかなと強く思います。現状に満足したことは基本的にないですし、とにかく、うまくなりたいなと思っていました。それが、例えば、ジャンプであったとしても、フィギュアスケートで求められている音楽的な表現であったとしても、常にうまくなることが、楽しみというか、それがあったから、ずっといまスケートをやっていられるんだなと思っています。
自分の中ではスケート=生きている、みたいなイメージがあって、生きる中って、うまくいったり、うまくいかなかったりって絶対あったり、そこに対して何か言われたりとか、喜んでもらえたりとか、いろいろあったりしますし、逆に、すごい停滞したりとかいろいろあったり、そういったものが、すごくスケートの中で感じられるなと思っていて、それこそが、自分にとってのフィギュアスケートなのかなと思っているので。