『10代の君に伝えたい 学校で悩むぼくが見つけた 未来を切りひらく思考』
朝日新聞出版より発売中
ドイツの宰相ビスマルクが残した「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。私の書いた『こども六法』は私自身のいじめ経験が執筆のきっかけとなってはいるものの、「いじめ研究」という領域に挑むにあたっては、その経験が仇になることが多々ありました。
だから私はいじめ問題を語る上で、自身の経験に依り過ぎないように細心の注意を払いますし、その経験を記した本を書くつもりもありませんでした。
今回、執筆を拒み続けていた自身の経験を吐露しようと決意したのは、まだ私が10代の子どもたちと近い世代にいるうちに、彼らにとって少しでもマシな未来に歩みを進めるための指針を残せるかもしれないと感じたからです。
きっと私の経験から学ぶことも、私を反面教師にしようと思うこともあるでしょう。それでも、私が胸のうちに抱えていた経験が、10代にとってのちっぽけな歴史として、少しでも明るい未来を思い描く材料になってくれたらいいなと願っています。
この本では、大人が助けてくれない時に、自分自身でどうやって問題を消化して耐え、とりあえず「死なずにいる」のかというテーマについて、私自身の経験から考えを述べています。大人が助けてくれない前提で本を書くのは何とも残酷な話だと我ながら思いますが、この背景には「私の時代」と現代とで、相変わらず大人によるいじめのスルーが行われ続けているという問題意識が念頭にあります。
私がいじめ被害に遭っていたのは小学5年生から6年生にかけてのことです。当時の私は毎日死にたいと思い続けていました。しかし、それは加害者による暴力が痛かったからでも、悪口で心が傷ついたからでもありません。周囲の大人、教師や学校や教育委員会が、いつまで経っても問題の根本的な解決に向けて動いてくれず、先生の保身が優先されているのではないかと邪推してしまうような対応が多くあったからです。
私は加害者ではなく、こういった大人の対応によって「自分は救われるに値しないのだ」「自分に価値がないからいじめの被害に遭うし、救ってもらうことが叶わないのだ」「そうであれば、生きている価値もないのではないか」と考えるようになっていきました。自殺に向けた様々なトライが失敗したことで「偶然」私は生き残りましたが、今、私が生きていることは確実なことである、という実感が未だに持てないほど、当時の私にとって死は身近なものでした。