1941年10月、高知県の宿毛沖で公試運転(建造の最終段階で行われる性能試験)を行う大和(大和ミュージアム提供)
1941年10月、高知県の宿毛沖で公試運転(建造の最終段階で行われる性能試験)を行う大和(大和ミュージアム提供)

「いま、新型コロナの影響で大和ミュージアムは休館中。昨年度は通常の1/4まで入館者が減りました。アフターコロナはこの旋盤を展示の目玉にしたい」と、意気込む。

 さすがに動態展示は無理なようだが、稼働停止まで丁寧なメンテナンスが施され、ほとんど故障することなく、船舶推進用の大型部品などを削り続けてきたという。

■主砲に生かされた日本刀づくりの技術

 戦艦大和の主砲はどのようにつくられたのだろうか。きしろの中島千寿常務は主砲の製造方法についてこう語る。

「長さ約21メートルの主砲の材料は鉄の塊です。鉄にはさまざまな鋼種があるんですが、ニッケルクロムモリブデン鋼とか、粘り強くて硬い鉄を鍛造(たんぞう)して、まず長い丸棒がつくられました」

 鍛造というのは材料の鉄を熱して繰り返したたくことで組成の均一度や強度を高める加工法で、日本刀づくりなどで培われてきた技術だ。

各種砲身材料(『呉鎮守府写真帖』から、大和ミュージアム提供)。大和主砲の中心穴加工について、きしろの中島千寿常務は「品物(鉄の丸棒)をゆっくり回しながら、片側ずつ削っていっていったのではないか」と推測する。単にドリルのような刃物を丸棒の軸に押し当てて削ったのでは、穴が曲がりやすい。「削りながら品物もゆっくりと回していく。そうすると自然に刃物がセンターへ向かっていくので真っすぐに穴が開く。そうやって片側を10メートル削り、そこで反転して、もう一方から10メートル削る。そして、最後は約20メートルの穴を一気に加工したと思いますね」
各種砲身材料(『呉鎮守府写真帖』から、大和ミュージアム提供)。大和主砲の中心穴加工について、きしろの中島千寿常務は「品物(鉄の丸棒)をゆっくり回しながら、片側ずつ削っていっていったのではないか」と推測する。単にドリルのような刃物を丸棒の軸に押し当てて削ったのでは、穴が曲がりやすい。「削りながら品物もゆっくりと回していく。そうすると自然に刃物がセンターへ向かっていくので真っすぐに穴が開く。そうやって片側を10メートル削り、そこで反転して、もう一方から10メートル削る。そして、最後は約20メートルの穴を一気に加工したと思いますね」

「その丸棒の外側を削るのに使ったのが今回の旋盤です。さらに砲身ですから、中もくりぬかなければならない。特別なガンボーリングの機械で穴を開けます」

 それが「砲身中ぐり盤」と呼ばれる全長約65メートルの巨大な装置で、唐津鐵工所(現唐津プレシジョン)が製作した。

「唐津さんと戦艦大和の話をしていたら、『主砲をつくったガンボーリングの機械はうちで製造したんです』と、おっしゃっていました。戦前からの技術が脈々と生き続けているんです」

 砲身を削った際には「焼入れ」「焼戻し」と呼ばれる「熱処理」が行われる。

「切削(せっさく)加工をすると、どうしても品物にひずみが出るんです。そのひずみをとるために、例えば、熱風炉みたいなところに入れて、700度ぐらいまで加熱し、焼入れた後、放冷します」

 砲身はわずかなゆがみでも命中精度に大きく影響するからだ。

■複雑な砲身の構造

 戦艦大和の主砲は、大量の火薬で巨大な砲弾をはるか遠方まで飛ばす。砲身は大きな爆発力に耐えられる強度が必要とされる一方、太くつくれば重くなり、砲塔や船の動きが鈍くなる。そのため、砲身の構造にはさまざまな工夫が施され、できるだけ軽く、丈夫につくられている。

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戦艦大和から生まれ育った技術