1944年10月24日、レイテ沖海戦でフィリピンのシブヤン海を進む大和。米空母艦載機の攻撃をかわすため、左に回頭中(米海軍歴史センター提供)
1944年10月24日、レイテ沖海戦でフィリピンのシブヤン海を進む大和。米空母艦載機の攻撃をかわすため、左に回頭中(米海軍歴史センター提供)

 砲身は一見すると、1本のパイプのように見えるが、実は紙コップを重ねたような多層構造になっているという。

「層を重ねることで薄くても丈夫になるわけです。例えば、3層構造であれば、3本の鍛造材から寸法を変えて筒状に削り、それを組んでいく」

 それらの筒は単に重ね合わせたものではなく、「間にピアノ線のようなものを幾重にも巻いて強度を高めている」。

 それが「ガンワイヤ」と呼ばれるもので、製造は東京製綱が担当した。ガンワイヤを巻いた砲身は「焼き嵌(ば)め」という方法で強固に組み上げられた。

「外側の筒に熱を加えると、膨張して径が太くなる。そこにコイルを巻いた筒(砲身)を挿入し、冷やすことで圧着する」

1945年4月7日、鹿児島沖の東シナ海で米空母艦載機の爆撃を避けようと、必死に操艦する大和。後部では火災が発生している。投下された爆弾が左舷の海上でさく裂し、巨大な水柱が立ち上がっている。同日、大和は3000人人以上の乗員とともに沈没した(米海軍歴史センター提供)
1945年4月7日、鹿児島沖の東シナ海で米空母艦載機の爆撃を避けようと、必死に操艦する大和。後部では火災が発生している。投下された爆弾が左舷の海上でさく裂し、巨大な水柱が立ち上がっている。同日、大和は3000人人以上の乗員とともに沈没した(米海軍歴史センター提供)

■戦艦大和から生まれ育った技術

 説明を聞いていると、大和の主砲は単に巨大なだけでなく、極めて精密なつくりで、当時の技術の結晶であることが伝わってくる。

 そんな感想を伝えると、中島さんはこう話した。

「昔はこの機械でこういうものをつくっていたというのは非常に魅力がありますよね。いろいろ勉強してみたくなるところがあります」

 戦艦大和の主砲の製造に携わった日本製鋼所、唐津プレシジョン、東京製綱は現在、それぞれの業界のトップメーカーとなっている。

 大型旋盤の除幕式は来年4月23日に行われる予定だ。

(AERA dot.編集部・米倉昭仁)

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