やまもと・あつし/1982年、静岡県生まれ。新日本住設所属。17歳のときのバイク事故で左太ももから切断し義足に。走り幅跳びで2013、15年のIPC世界選手権2連覇。夏のパラリンピックには08年北京から3大会連続出場し、走り幅跳びで銀二つ、400mリレーで銅。冬は18年平昌にスノーボードで出場。17年10月、プロに(写真/写真部・東川哲也)
やまもと・あつし/1982年、静岡県生まれ。新日本住設所属。17歳のときのバイク事故で左太ももから切断し義足に。走り幅跳びで2013、15年のIPC世界選手権2連覇。夏のパラリンピックには08年北京から3大会連続出場し、走り幅跳びで銀二つ、400mリレーで銅。冬は18年平昌にスノーボードで出場。17年10月、プロに(写真/写真部・東川哲也)

 東京パラリンピックは8月28日、陸上の男子走り幅跳び(T63)があり、2018年平昌冬季大会スノーボード代表の山本篤(39)が出場する。AERA2019年4月22日号のインタビューを紹介する(肩書、年齢は当時)。

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 山本篤には陸上選手のほかに二つの顔がある。一つは義足のスペシャリスト、義肢装具士。もう一つは大阪体育大学大学院博士課程で運動力学を研究し、現在は同大学の客員准教授を務める科学者の顔だ。自ら義足を調整し、計測したデータをにらみ、科学的な分析を走りに生かしながら世界の頂点に上り詰めた。

「常に考えながら練習してきた。自分で理解し方向性を決めてきたから今がある」
 
 走り幅跳び界では、山本より障害の程度が軽いクラスで、義足の選手が健常者の記録を超えたこともある。それを道具の力だという人がいる。だが、義足をはけば誰もが大ジャンプを跳べるわけではない。板バネの反発力を走力や跳躍力に変えるには、義足に体重を乗せて強く地面を蹴る技術や硬い義足をたわませる筋力が必要だ。中でも太もも切断の選手はひざがないため義足のコントロールが難しい。山本は自らの走りを分析し、腰まわりの筋肉を鍛えて体幹の傾きを修正するなどして義足を制御できる体を手に入れた。

 山本は短距離の選手でもある。その走りは当初、障害のない足で蹴ったときのストライド(歩幅)が義足を上回っていたが、左右差をなくそうと数十センチの台に両足で乗って降りるトレーニングを取り入れ、両足に同じように力を加え、同じ高さにジャンプする感覚を磨いた。いまは義足が上回り、義足の特性を生かした走りで勝負を挑んでいる。

 誰よりも速く、高く、遠くへ。走る科学者の探究心はとどまることを知らない。
 
(編集部・深澤友紀)

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 ■陸上競技

 基本的なルールは一般の競技と同じ。車いすや義足を使う選手、視覚障害、聴覚障害、知的障害の選手などさまざまな選手が参加するため、障害の種類や程度などでクラスを分けて競技を行う。足を切断した選手は通称「板バネ」と呼ばれる競技用義足を装着する。

※AERA2019年4月22日号に掲載