
カウラ事件は、戦時中の1944年8月5日、オーストラリアのカウラ捕虜収容所で起きた。日本軍の捕虜1000人余りのうち、500人以上が脱走し、ほぼ半数が銃撃などで命を落とした。脱走者たちにのしかかっていたのは1941年、当時の東条英機陸相が布達した「戦陣訓」。「国体の本義」の体得を将兵に要求し、「生きて虜囚の辱を受けず」などの教えを垂れていた。捕虜として生き延びることは罪だった。命はいとおしいが、生き恥はさらせない。日本の家族に迷惑がかかるから、帰国も望めない。脱走者たちは、絶望をかみしめて集団自決的行為を選択したのだろう。既に戦死扱いになっていたこともあってか、多くは偽名を用いたという。
「集団自殺的行為をやめようと思っていても言い出せない。その危険性、恐ろしさが伝わる」と山里さんは感想を述べる。

映画は、生き残った当事者たちを追い、証言映像を重ねる。今生きていることが、カウラ事件で亡くなった仲間たちに申し訳なく、押しつぶされそうな気持になる。彼らの戦後も、生き延びることは罪であるかのように。当事者の一人は人前で顔を上げるのも苦痛そうだ。映画では、当事者たちの話を聞く現在の若者が事件をどう継承していくか、という姿も描く。
■「自分だったら」を考えて
満田さんは「捕虜になった人たちも高齢となり、今話を聞いておこうと撮影を始めた。捕虜たちが直面した、集団自決につながる脱走するかどうかの選択は、決して昔話ではないと思う。今の子どもや若者にも『自分だったらどうするか』を考えてほしい。そういう選択の積み重なりが社会を作る」と言う。

当事者の一人が若者にもらした一言は、ぐさりと突き刺さってくる。
「日本は戦争に負けたんだから……天皇陛下自ら手を上げたんじゃないのか……日本全国の者がみな捕虜ということになりますね」
両作とも、あまり人口に膾炙していない物語をていねいに伝え、現代人が踏みとどまって考え直すべき問題を示唆する。メッセージ性は強烈だ。
本土復帰をかなえた沖縄が目にしたのは何だったのか。沖縄に立ちはだかる壁は、米高等弁務官から日本政府に代わっただけなのか。「第2次世界大戦からアメリカの統治、日本への復帰。しかし望んだ復帰とは違う沖縄の現状にまで、こうした対立は影を落としている」と山里さん。満田さんは「民主主義は闘わないと勝ち取れない。米国高等弁務官の『自治権は神話』という発言も、今の沖縄に響いてくる」と話す。
新型コロナウイルス感染症の拡大への対応、オリンピック・パラリンピックの開催……。不幸にも国論が二分されるような事態は、政権など権力者の、広範な説得力を持たない意思で押し切られていく。さらに政権・与党内部の無批判性も止まらない。カウラ事件のように、たとえ不条理でも、主流派の大きな声に小さな声は呑み込まれて行ってしまう。