枝にとまる瞬間。フクロウは目を保護するために、しゅん膜とまぶたを閉じる(撮影:宮崎学)
枝にとまる瞬間。フクロウは目を保護するために、しゅん膜とまぶたを閉じる(撮影:宮崎学)

 90年に土門拳賞を受賞したフクロウの撮影ではネイチャー写真の世界にスタジオ写真の撮影手法を導入した。

「フクロウの模型を木に置いてライティングのテストを繰り返してから本番に挑みました。ぼくはいつも絵コンテを描くんです。ストロボの置き方、影の出具合、背景とのバランスとかを考えて、カメラを最終的にセットする。絵コンテを撮影小屋の壁に貼って、それが撮れたら破いていった」

 94年に発表した作品「死」では、輝かしい動物写真とはまったく異なる、「死」という野生動物の日常に光を当てた。死骸がほかの動物に食い荒らされ、ウジに覆われ、土に還っていく。そんな「自然のしくみ」を克明にとらえた写真はグロテスクであると同時に、すがすがしさを覚える。

■「人は自然をきれいに見すぎる」

 そして今日まで続く「アニマル黙示録 イマドキの野生動物」は、大都会の野生動物という、まったく新しいネイチャー写真の地平を切り開いた。人間社会の毒を含んだ、ざらりとした動物写真は宮崎さんの真骨頂といえる。

「人は自然をきれいに見すぎる。自然界に対して夢を抱きすぎてしまっている」と、宮崎さんは言う。

「動物側から見た風景は180度違う。連中は実にしたたか。貪欲に人間を利用してやろうとしている」

東京の新興住宅街のたんぼで暮らすキツネ(撮影:宮崎学)
東京の新興住宅街のたんぼで暮らすキツネ(撮影:宮崎学)

 そして、今回の写真展について「50年間のニホンカモシカの足跡みたいな感じ」と言う。

 実はデビュー作となったニホンカモシカは、撮影したころを境にどんどん数を増やしていった。

 当時、森林が大規模に伐採され、日の当たるようになった山の斜面に若木が育ち、その芽はニホンカモシカの格好の食料となった。

 台風や山火事によって自然環境が大きく変わることを「自然撹乱」というが、野生動物にとっては原因など知ったことではなく、森林伐採も宅地開発も自然撹乱のようなものだろう。

 宮崎さんが写したニホンカモシカは人間を利用して繁殖するしたたかな野生動物の姿、そのものだった。

■森に飲み込まれていく日本

 自然環境は人間社会と関係しながら変化し続けている。それを嫌う動物もいれば、好む動物もいる。

 薪炭用や建築材料として1千年以上続いてきた木々の伐採が衰退して半世紀。いま、日本の森林は猛烈に豊かになり、「森林飽和」と言われるような状態になっている。

「これから限界集落がどんどん森に飲み込まれていきますよ。カモシカも西日本にまた広がっていくと思うね。そんな自然を読みながら仕事をしている。そこにネイチャー写真家として生きる存在意義がある。撮影のアイデアをいっぱい箇条書きにしてためているけど、もう、そういうのを残して閻魔様(えんまさま)の元に行かなきゃかな、とは思っているけどね(笑)」

(アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】宮崎学写真展「イマドキの野生動物」
東京都写真美術館 8月24日~10月31日