以前から大山さんには野獣のような目を持つというか、なんとなく野生のにおいを感じていたのだが、それにしてもローカルバスでニューデリーまで行くのはかなりきつそうだ(直線距離で約1800キロもある)。

「で、ちゃんとニューデリーまで行けたんですか?」

「行けるわけないじゃないですか(笑)」

 バスが動きだすと、「もう、一瞬にして、インドってすごいな、と思った」。目に飛び込んできたのは日本の戦後の混乱期のような強烈な光景。

「タイムマシンだね。いまだにこういう世界があるのか、と思った。とんでもない村や街。私が走ったルートはツーリストが来るような場所じゃないから。そこで目線が完全に変わっちゃった。これはインドを撮らなくちゃいけない、と思ったわけ。ところが、カメラがない(笑)」

 写真を撮る旅ではなかったので、カメラを持ってこなかったのだ。

 結局、ローカルバスの旅は700キロ離れたゴアで終わったのだが、「ものすごいインパクトを受けた」。

 そして帰国後、「またすぐにインドに行ったんです。今度はちゃんとカメラを持ってね(笑)」。

■取り残されたような庶民が暮す街

 再びインドを訪れると、さらなる衝撃が。

「ムンバイで、泊まったホテルの裏通りに入ったら、なんじゃこりゃ! と。もう混沌。悲惨な状況を見ちゃったわけ」

 いまでもまざまざと思い浮かぶのは、薄暗い通りを大声を上げ、はいずりながら近づいてきた男の姿。よく見ると、膝から下の両足がなかった。しかも、何の治療も施されず、肉がめくれ上がり、腐っている。

「俺だって生きている、なんとかしてくれー、と、わめきちらしてね。もう、どうしていいのか……」

 カメラを持ってインドを訪ねたものの、最初はどこをどう撮っていいかわからなかった。かといって、「祈り」や「聖地」にもまったく興味が持てなかった。

「まあ、要するに藤原新也さんの世界ですよ。もうみんなインプットされちゃって、そこに行かなくちゃいけない感じになっちゃっているじゃないですか。でも、私はぜんぜん、そういう洗脳を受けなかったから。日本じゃ、聖地で暮らしているからね(笑)。単に鈍かったのかもしれないけれど」

次のページ
危なかったことは一度もない