若くして将軍になった家茂(65点)だが、誠実な人柄で政治力に長け、勝海舟も絶賛した。が、惜しいかな長州征討の最中に大坂城で病没した。まだ二十一歳だった。
家治(63点)は、田沼意次に政治を一任し、平凡な評価となった。なお、田沼が賄賂政治家という批判は政敵の松平定信一派の宣伝によるもので、貿易の振興、貨幣の統一、株仲間の奨励、手賀沼・印旛沼の開拓など、重商主義政策は高く評価できる。
家慶(60点)は水野忠邦に天保の改革を推進させたが、厳しすぎて失敗、将軍としては可もなく不可もなく、だ。家重(58点)も父・吉宗の余徳で政治が安定していただけで、リーダーシップを発揮したわけではなく、言語不明瞭で“小便の近い人物”に過ぎない。
幼くして将軍になった家綱(55点)も大奥に入り浸りで若死した。家臣が有能だったから政権が安定しただけ。子を55人もうけた“オットセイ将軍”家斉(53点)は、半世紀以上実権を握ったが、貨幣改鋳を繰り返す放漫財政で幕府は疲弊。開国の時期に将軍になった家定(46点)は、病弱なうえ奇行を繰り返し、嫡男をもうけられず、後継者問題が起こり、幕府の威信を失墜させた。
※週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から