徳川家康をまつる日光東照宮。2017年撮影(c)朝日新聞社
徳川家康をまつる日光東照宮。2017年撮影(c)朝日新聞社
この記事の写真をすべて見る

 慶長八年(1603)、江戸に幕府を開いた徳川家康。以来、幕末の慶喜に至るまで計15人の将軍を生んだ。ここでは、週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から、歴史研究家の河合敦さんが「神君」と崇められた家康から、密かに「暗君」とささやかれた将軍まで「知力」「政治力」「外交力」「家臣の力」「人望・カリスマ性」の5つの基準で徹底評価! 「最強の将軍」は誰だ?

【最強の将軍は? 徳川十五代将軍「全採点表」はこちら!】

*  *  *

 大方の予想通り、最強の将軍は初代・徳川家康(86点)だ。今川氏の人質から我慢を重ねて天下をとり、幕府を開いた後は圧倒的な軍事力で大名や朝廷などを押さえ込み、長期政権の礎をつくった。他の将軍を寄せつけない偉大な業績であろう。

 吉宗と慶喜が同点2位(81点)。吉宗は御三家(紀伊)から宗家を継いだ初めての将軍。自ら主導して享保の改革を行い、幕府の財政を好転させた中興の英主である。

採点の基準/【知力】教養や知性、文化的素養の高さ等/【政治力】政策立案能力、幕政の実行力の高さ等/【外交力】諸藩、諸外国との折衝力、
交流の多さ等/【家臣の力】有能な家臣やブレーンの有無等/【人望・カリスマ性】家臣、諸侯、民から人気を集め崇拝されているか (週刊朝日MOOK「歴史道 Vol.14」から)
採点の基準/【知力】教養や知性、文化的素養の高さ等/【政治力】政策立案能力、幕政の実行力の高さ等/【外交力】諸藩、諸外国との折衝力、 交流の多さ等/【家臣の力】有能な家臣やブレーンの有無等/【人望・カリスマ性】家臣、諸侯、民から人気を集め崇拝されているか (週刊朝日MOOK「歴史道 Vol.14」から)

 一方、慶喜の2位は意外かも知れない。しかし対朝廷での政治力は絶大で、幕政改革で一気に軍事力を強化させた。あと数年改革が続いたら薩長は幕府を倒せなかったろう。鳥羽・伏見の戦いに敗れて敵前逃亡したのは情けないが、以後は恭順に徹し、明治になっても表に出ず、新政府を安定させたことは評価できる。

 参勤交代や鎖国制度など幕府の諸制度を確立した家光が4位(76点)。5位に関ヶ原合戦に遅参するなど凡庸とされる秀忠(75点)がランクインしたのは、家康の死後、徳川一族を含む諸大名を次々と改易し、将軍の権威を不動にしたからだ。同じく5位に並んだ家宣(75点)。新井白石の教育を受け名君となったが、治世が短かったのは残念。

 7位に“犬公方”と揶揄された綱吉(70点)が入ったのは、近年の研究成果に基づく。生類憐みの令で庶民は迷惑を蒙ったが、多数が法に触れ処刑や遠島になったというのはデマ。好学な綱吉は大名や幕臣に自ら400回の講義を行い、朱子学による文治政治を徹底した。捨て子を禁じたり、行き倒れ人の保護を命じるなど社会福祉的な政策を進め、戦国以来の下剋上の遺風を解消した。近年の教科書には、そんな綱吉を名君のように記すものもある。

著者プロフィールを見る
河合敦

河合敦

●河合 敦(かわい・あつし) 1965年、東京都生まれ。歴史作家。多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。テレビ番組「歴史探偵」(NHK総合)他に出演。著書に『徳川15代将軍 解体新書』『お札に登場した偉人たち21人』『江戸500藩全解剖』『徳川家康と9つの危機』『日本史の裏側』など多数。

河合敦の記事一覧はこちら
次のページ
若くして将軍になった家茂は…