慶長八年(1603)、江戸に幕府を開いた徳川家康。以来、幕末の慶喜に至るまで計15人の将軍を生んだ。ここでは、週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から、歴史研究家の河合敦さんが「神君」と崇められた家康から、密かに「暗君」とささやかれた将軍まで「知力」「政治力」「外交力」「家臣の力」「人望・カリスマ性」の5つの基準で徹底評価! 「最強の将軍」は誰だ?
* * *
大方の予想通り、最強の将軍は初代・徳川家康(86点)だ。今川氏の人質から我慢を重ねて天下をとり、幕府を開いた後は圧倒的な軍事力で大名や朝廷などを押さえ込み、長期政権の礎をつくった。他の将軍を寄せつけない偉大な業績であろう。
吉宗と慶喜が同点2位(81点)。吉宗は御三家(紀伊)から宗家を継いだ初めての将軍。自ら主導して享保の改革を行い、幕府の財政を好転させた中興の英主である。
一方、慶喜の2位は意外かも知れない。しかし対朝廷での政治力は絶大で、幕政改革で一気に軍事力を強化させた。あと数年改革が続いたら薩長は幕府を倒せなかったろう。鳥羽・伏見の戦いに敗れて敵前逃亡したのは情けないが、以後は恭順に徹し、明治になっても表に出ず、新政府を安定させたことは評価できる。
参勤交代や鎖国制度など幕府の諸制度を確立した家光が4位(76点)。5位に関ヶ原合戦に遅参するなど凡庸とされる秀忠(75点)がランクインしたのは、家康の死後、徳川一族を含む諸大名を次々と改易し、将軍の権威を不動にしたからだ。同じく5位に並んだ家宣(75点)。新井白石の教育を受け名君となったが、治世が短かったのは残念。
7位に“犬公方”と揶揄された綱吉(70点)が入ったのは、近年の研究成果に基づく。生類憐みの令で庶民は迷惑を蒙ったが、多数が法に触れ処刑や遠島になったというのはデマ。好学な綱吉は大名や幕臣に自ら400回の講義を行い、朱子学による文治政治を徹底した。捨て子を禁じたり、行き倒れ人の保護を命じるなど社会福祉的な政策を進め、戦国以来の下剋上の遺風を解消した。近年の教科書には、そんな綱吉を名君のように記すものもある。