撮影:野呂彰
撮影:野呂彰
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 写真家・野呂彰さんの作品展「赤とんぼ-西成隣人-」が3月25日から東京・四谷のポートレートギャラリーで開催される。野呂さんに聞いた。

【写真】野呂さんが地元目線で撮影した西成の人々

 展示するのは大阪・西成に暮らす人々を写した作品。路上で写したスナップ写真もあるが、ほとんどは自宅の部屋の中や玄関前で撮影したポートレートだ。

「西成って、ほんまにいろいろな人がおるよ。お寺のお坊さん、日本舞踊の師匠、作詞家、劇団の副社長をやっている人も。まだまだ、すごい人がおるんやで。言われへんけど(笑)」

「でも、ちゃんとした職業の人は少ないわな」と、愛しそうに言う。

「ぼくの人生も波乱万丈やったからね。お互いに気持ちが通じるところがあるなあ、と思って。そういう思いで撮ってきた」

撮影:野呂彰
撮影:野呂彰

どうしても写真をやりたい、もっと撮りたいと、会社を辞めた

 野呂さんは1941(昭和16)年、大阪生まれ。

「西成はね、地元ですねん。15歳くらいから10年ほど住んどったんですわ」

 いまの西成は繁華街と住宅地、町工場が混在する地域だが、野呂さんの青年時代にはまだ池や田んぼが残り、赤とんぼがたくさん飛んでいた。「そういう時代への思いを込めて」、写真展のタイトルを「赤とんぼ」に決めた。

「昔の釜ケ崎の騒動も目の前で起こった。西成の移り変わりはみな、見てきてる。結婚してとなりの住吉区へ移ったんやけど、友だちはほとんど西成やし、自転車で行き来する範囲ですわ」

 ちなみに、インターネットで「西成」を検索すると、日雇い労働者が集まる釜ケ崎のことがやたらと目につく。しかし、それは西成の一部であって、ほかは「ふつうのところ」と言う(ただ、話を聞いていくと、ほかの地域とは違う、独特の雰囲気を感じた)。

 野呂さんが中古カメラを手に入れて写真を撮り始めたのは高校を卒業したころ。複雑な家庭の事情で、すでに実家を離れていた。

「二十歳くらいから大阪をいろいろ撮っておったんです。泉北ニュータウンの開発、大阪万博、大阪港の埋め立て工事とか」

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脳裏にこびりつく「写真家の言葉」