卵胞の発育を促す自己注射や点鼻薬を経験し、初めての採卵を迎えたポチ子さん。体が跳ね上がるほどの激痛に耐え、5個の卵子を採った。だが、医師に告げられた培養結果は、ひとつも受精しない「全滅」。ポチ子さんは、その時の心境を「足下がヒビ割れ ガラガラと崩れ そのまま 暗い底に落ちていくような感覚」(2016年1月)と表現している。

 クリニックAでは結局、採卵を3回し、受精卵を2回移植したが、妊娠に至らなかった。夫の給料からすでに約165万円を使っていた。

「なんで私は不妊症なの? 前世で悪いことしたの? 答えのないことばかり考えて落ち込んで凹みました」(ポチ子さん)

 その後、別の治療法にかけて大手クリニックBに転院。Bでは誘発剤を用いない「自然採卵周期」を採用しており、初診から数日後に採卵となる。展開の早さと、極細の針を使った採卵の痛みの少なさに感激するポチ子さんだったが、採れた卵子は1個。不安のまま、新鮮胚(受精卵を冷凍保存せずに子宮に戻す方法)を移植したが、結果は陰性だった。

 ポチ子さんはこの日以降、「服薬・採卵・移植・陰性判定・生理がくる……」というベルトコンベヤーに乗っているかのように、体外受精の流れにひたすら流されることになる。
 
 7回目の移植結果が陰性だった時、気持ちの糸が切れた。治療をやめる勇気も、進む気力もないポチ子さんの「心のタンク」を満たしてくれたのは、夫の言葉だった。

「結局僕はね、僕が死ぬ時にポチ子がそばにいてくれたら良いから」(2017年10月のブログから)

 ポチ子さんは、続けてこう記している。

「その言葉に 夫婦2人で歩んでいく気持ちの準備が見えて 胸が締めつけられるようでした 結果はどうあれいつか治療を終える日を迎えます(中略)もう少し 頑張ろうと思いました」

 いつも1000近く押される「いいね」は、この日、5000を超えた。

 その後、不妊の原因を探していたポチ子さんは、他院での検査によって、「慢性子宮内膜炎(内膜炎)」であることが判明する。自覚症状のないまま子宮の内側の粘膜に炎症が続く病気で、内膜炎がない女性より妊娠率が大幅に低いとされる。

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のんびりせずにもっと早く妊活に踏み出せば良かった