美しい村からは人が消え、家は朽ち果てていった
撮影現場に着くと、そこには「映画の世界で見たような、そんな中国があった」。
「本当に巨大なお屋敷なんですよ。石づくりのファサードや大きな門構え。中に入っていくと大広間で、その左右に小部屋がいっぱいある。昔は財産のある旧家だったと思いますけれど、今は修理ができず、ただ荒れ果て、台所とか一部分だけを使って生活している。おじいさん1人、あるいはおばあさんと2人で住んでいる。そんなところがけっこうありましたね」
成長した子どもたちは成功を夢見て、仕事や富が集中する都会へと出ていく。美しい村からは人が消え、朽ち果てていく。それは中国に限ったことではなく、世界中で起きていることだ。地方と都市の二極化。目の前の光景がそれを象徴している。井津さんはそう感じた。
「これは腰を据えて撮影したいな、と思いましたね。ただ、美しい建物だけを撮ったのでは意味がないですよ。いったいそこに何があるのか、ということを時間をかけて表現しなければならない」
ジャーナリストの視点ではなく、アーティストの視点で美を見出したい。すべてが無に帰す、「無常の世界」。滅びゆくものの美と影、そこに生きる人々の姿をニュートラルな立場で撮影したかったという。
クスノキが見てきた激動の中国近代史
作品のなかで、屋敷内にある先祖をまつる場所を写した写真が気になった。そこには毛沢東、レーニン、マルクスの写真が貼ってあったからだ(他は破れてはっきりしないが、エンゲルスとスターリンだろう)。その下には「毛沢東万歳」「共産党万歳」と書かれている。この付近は中国共産党が農民を率いて蜂起した革命の聖地なのだ。
「1960年代の文化大革命のとき、地主が解体されましたよね。それ以前は小作人を大勢使っていた大地主だったけれど、あれ以降、すべてなくしてしまったのでしょう。だから、たぶん80、90歳の老人はよかったころの時代を覚えている」
井津さんは朽ち果てていく建物だけでなく、周辺に点在するクスノキの林にもレンズを向けている。
「あそこの人たちは樟脳が採れるクスノキを珍重していまして、その林があちこちにあるんです。千年、2千年も前からクスノキを植えて林をつくったんじゃないかな。そこに生命を感じますし、木の寿命は人間の10倍以上あるであるでしょう。だから、人類の歴史、近代史をずっと見てきた『時代の証人』、という気がします」
クスノキは何を見てきたのか。これらの建物がつくられた明・清時代が終わるころ、中国の農村は疲弊の極に達していた。軍閥による重税、とどまること知らぬインフレ、収穫の半分にも達する小作料、旱魃や洪水。飢餓が発生すると農民が公然と子どもを売る一方、地主たちの邸宅は私兵によって守られていたと、当時、この地を歩いたアメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーは書いている。
まさにこの地で毛沢東に率いられた農民兵が百姓一揆のごとく立ち上がり、革命を起こした。そしていま、無数の若い農民工(※)が大都市に流れ込む一方、巨万の富を手にするひと握りの人々がいる。そんな社会のひずみを思い浮かべながら、精緻に写し出された邸宅群を見ていると、中国の激動の歴史をのぞき込んでいるようで、感慨深かった。
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
※農民工、農村出身の出稼ぎ労働者を中国語でこう呼ぶ。中国ではもともと都市住民と農村住民とで戸籍上の扱いを区別し、人口移動を厳しく制限してきた。
【MEMO】井津建郎写真展
「撫州(※編集部注:実際は「撫」の字が簡体字)・忘れられた大地」
富士フイルム Imaging Plaza東京 11月18日~12月7日。
同名の写真集(Naraeli Press、8.5×11インチ、本文92ページ、会場特価7000円・税込)も会場で販売される。