「例えば祖父が使っていた陶芸家の濱田庄司の食器がいくつかありました。これらは確かに濱田庄司の作品として価値があるものですが、志賀直哉が使っていたとなると、そこに物語が加わると思うのです。かつて祖父は我孫子に住んでいたことがあるので、縁がある我孫子市白樺文学館に寄贈することにしました」
ただ、あまりに数が多いのが一苦労だとも。
多くを白樺文学館に寄贈することにしたが、手元に置いておきたいものも、もちろんある。それは小学生のころ、志賀から直接もらった二眼レフカメラである。
「でも、そのカメラが捜しても捜しても見つからないんですよ。革のケースがついていて、『志賀直哉』と名前が書いてありました。大切なものなので、奥に仕舞い込んでしまったのかもしれませんね」
裕さんはおじいちゃまから、もっと大きな宝物をもらっている。それは「赤い風船」という裕さんのことを書いた作品だ。この随筆は母・田鶴子さんと裕さんが「赤い風船」という映画を見たときのことを記している。
主人公の子どもは、“赤い風船”と仲良くなるのだが、赤くて目立つ風船はいたずらっ子に追いかけられ、踏みつけられて割れてしまう。
その場面で幼い裕さんが大声で泣きだしたことを、母・田鶴子さんと志賀にからかわれたという内容だ。
志賀は、赤い風船へ愛情を注ぎ、涙を流す裕さんを愛おしく思ったことが書かれている。
「私はその翌々日、銀座に出たので、露店で映画の風船と同じ位に大きくなる赤い風船を買って来た。帰ると、偶然、また田鶴子と裕が来たので、脹らましてやったら、それを抛り上げたり、蹴鞠についたりしていた。裕は田鶴子の長男で、この春から幼稚園に通い出した児である」(『志賀直哉随筆集』「赤い風船」から)
志賀直哉にとって家族は大切な宝物だった。(本誌・鮎川哲也)
※週刊朝日 2022年7月15日号