
昔のアルバムの写真を見るような懐かしさ
多摩川には「かわや」のほかにも昔の渡船場の名残がある。それが貸しボート屋「たまりや」で、ここがもう一つの撮影の舞台となっている。
二子玉川から上流へ約5キロ、小田急線和泉多摩川駅の近くの河川敷。ここには1953(昭和28)年に多摩水道橋が架かるまで「登戸の渡し」があった。
「橋ができて、渡し舟の仕事がなくなったので。じゃあ、貸しボート屋でもするか、と始めたそうです。娯楽がない時代なもんだから、昔は上流から下流まで同業者がいっぱいいたらしいんですけれど、ここが最後に残った多摩川の貸しボート屋さんなんです」
「たまりや」の物語は、橋の上から写した引きの写真から始まる。おだやかな川面。桜の咲く岸辺には屋形船が係留され、そのまわりにいくつものボートが浮かんでいる。
次の写真では親子が乗り込んだボートを店主の谷田部靖彦さんが屋形船の縁から押し出そうとしている。数年前に写した写真なのに、昔のアルバムの写真を見るような懐かしさがじんわりと胸に染みる。「でしょ。このボート屋さんも昭和なんですよ」。
目の前に現れる、ひょうひょうとした不思議なキャラの人
小学生のころから父親の渡し舟を手伝ってきた谷田部さん。その後、家業が貸しボートに変わってからも「毎日朝から夕方までまわりの草を刈ったり、ぜんぜんじっとしていない。もう仕事じゃないんですね。川に来て何かするのが人生そのものなんですよ、谷田部さんにとっては。川とともに生きているような人」。
そんな谷田部さんの自慢は、多摩川を取り上げたNHKのBS番組『新日本風土記』(2014年)に主人公として出演したこと。
「番組の中で『多摩川は俺の親みたいなもん。だから川にいいことをして、なんか親孝行をしているようなもんだよ』って、しゃべるんですよ。『谷田部さん、よくそんなセリフが言えましたね』って、言ったら、『なんかすらすら出てきちゃったんだよね』って」。
ボートを漕ぐカップルや家族の姿。そんな平和な風景を写していると、突然、「道化みたいな人が現れる。『なんなんだ、この人は』みたいな」。
写真には白いシャツの胸をはだけ、黒いシルクハットのような帽子をかぶった男性が写り、こちらを見つめている。
「毎日ここでコイを釣っている人なんですけど、ちょっと独特なファッションで現れる。中学生とかが釣りに来ると、釣り方を教えてあげるんです」
ほかの作品にもひょうひょうとした不思議なキャラの人が登場する。
「この人は物知りで、すげーインテリなんですよ。人の顔を見ると、『資本論を読め』と言う。『資本論』にすべて書いてある』って。でも、資本論を読んでいるけど、あなた橋の下に住んでいるじゃない、ということなんですけどね。そういう人たちの面倒を谷田部さんがさり気なくみている。話が戻るんですけど、最初に『かわや』を建てているシーンがありましたよね。あれを建てている人たちも『川の人』なんです」