松山城を背景にした市役所前界隈が松山市内線の檜舞台だ。前年に廃止された呉市電から移籍したモハ1000型(2002年まで稼働して退役)が、坊ちゃんも通った道後温泉に向けて走り去った。南堀端~市役所前(撮影/諸河久:1968年5月1日)
松山城を背景にした市役所前界隈が松山市内線の檜舞台だ。前年に廃止された呉市電から移籍したモハ1000型(2002年まで稼働して退役)が、坊ちゃんも通った道後温泉に向けて走り去った。南堀端~市役所前(撮影/諸河久:1968年5月1日)

■坊ちゃん列車で観光振興

 城下町の風情がある松山。

 その街を舞台にした夏目漱石の小説「坊ちゃん」に登場する「坊ちゃん列車」を復活させ、いまも市内公共交通の要として松山では路面電車が活躍する。

 伊予鉄道松山市内線の冒頭写真は松山市内線の根幹をなす城南線を走る道後温泉行きの電車。新緑の背景には松山城が遠望できる。画面右側が松山市役所で、左側に連なっているフィンガーウィンドーの建物が1929年に竣工した愛媛県庁舎。

 写真の車両は1967年に廃止された広島県の呉市電から転属したモハ1000型で、松山市にデビュー当初の一コマ。後年、ワンマン化改造でヘッドライトの位置が屋根上に変わっている。

松山観光のシンボル「坊ちゃん列車」は、見事な明治調の演出で観光客から好評を博している。D1型1号機が牽く松山市駅行き坊ちゃん列車。県庁前~市役所前(撮影/諸河久:2019年4月20日)
松山観光のシンボル「坊ちゃん列車」は、見事な明治調の演出で観光客から好評を博している。D1型1号機が牽く松山市駅行き坊ちゃん列車。県庁前~市役所前(撮影/諸河久:2019年4月20日)
道後温泉で転向中のD2型14号機。車体下部の油圧ジャッキで車体を押し上げて、人力で転向するシーンは一見に値する。(撮影/諸河久:2019年4月20日)
道後温泉で転向中のD2型14号機。車体下部の油圧ジャッキで車体を押し上げて、人力で転向するシーンは一見に値する。(撮影/諸河久:2019年4月20日)

 次のカットは前述の「坊ちゃん列車」で、松山観光のシンボルとして2001年から走り始めた観光列車だ。そもそも「路面電車が走る軌道に蒸気列車(実際にはディーゼル動力だが)を走らせる」という、奇想天外なアイデアを実現させた関係者諸賢の尽力に喝采を贈りたい。蒸機のドラフト音は音源から車外スピーカで流し、水蒸気を使用した発煙装置で煙突からの煙を演出するなど、このレプリカ列車は蒸機通を認ずる筆者が観察しても、非の打ちどころのない出来栄えだ。ご覧のように明治期の制服で運転する乗務員は一幅の絵になるのだ。

 この機関車、終点の松山市駅や道後温泉駅では、必ず方向転向してから列車を牽引する。「転車台もない施設でどうやって回転するのか」興味津々で現地を訪れた。最後のカットが道後温泉駅で転向中のD2型14号だ。機関車の下部に設置された油圧ジャッキによる方向転換装置で車体を浮かせ、人力で180度転回させてから軌道上に復線させるシーンを撮影することができた。

 モータリゼーションで交通渋滞が頻発し、路面電車撤去論が吹き荒れていた高度成長時代、松山市では行政当局が徹底して軌道内への自動車乗り入れを禁止したため、市内線の路線廃止縮小などが回避され、市民の足を守った経緯がある。その後、車優先の情勢が変化し、路面電車の存続からLRT導入による空港線やベットタウンへの新線計画など、松山市と伊予鉄道の路面電車未来ビジョンに期待したい。

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温泉街・別府の「足」となった路面電車