「えーっ、萩原はこんなの撮るんだ」と言う来場者の顔を見たい
私たちがよく目にする志賀高原の作品は、「誰が見ても、この風景いいよね、と言われるような、いわば『お膳立てされた風景』。でも、そこにも自分の視点でないと発見できないような風景がある」。
写真展の出だしは案内状の蓮池の作品。そして、カヤの平の朝の風景が2枚続く。志賀高原の写真を見慣れた人ならすぐに、「ああ、あそこね」と、わかる場所だ。
「でもみなさん、おそらくこういう場面は見逃していると思うんです」と言いながら、作品を見せてくれる。
夜明け前の薄暗い風景。手前の太い黒々とした木の幹が画面をさらに重々しく見せている。朝霧が低く漂い、奥にはシルエットとなった木々がぼんやりと透けて見える。そこに朝日が当たった瞬間、牧草についた水滴が光り輝く。逆光に照らされた明るい緑と影の部分との強いコントラストが真夏の朝を感じさせる。
「この写真のちょっと上に視線を向けると、光芒が出ているんです。でも、自分が興味があるのはこんな足元の風景だったりするんです」
別の作品では、季節が秋に移ろっていく。シダの葉の小さなぎざぎざにレンズを向け、ところどころ茶や黒に変化した部分をとらえている。色づいた木の上では、ふさふさとした毛なみのサルが首をかしげるようなポーズで無心に赤い実をほおばっている。
「来場者が『えーっ、萩原はこんなの撮るんだ』と言うのを横目で見ながら、ほくそ笑んでみたいですね」
三脚使用前提の撮影だと自分の心が縛られる
昨年開催した写真展「色×旬 IRO TO TOKI」(富士フイルムイメージングプラザ)は、どちらかといえばオーソドックスな風景写真で構成された。
しかし、今回は「生きものを入れたり、多重露光の作品を展示したりと、いままで私がやったことのないような手法を見ていただきたいと思っています。遊び心を出しつつ、楽しくやっています」。
――カメラが変わったことも影響しているんじゃないですか? と指摘すると、「それはあります」。
「今回使ったオリンパスのカメラは手持ちで撮ることを基本にしているんです。富士フイルムのカメラの場合、大きなGFXだと、手持ち撮影は基本的にあり得ない。三脚使用前提の撮影だと、それに自分の心が縛られる、というとちょっと大げさかもしれないですけれど、行動範囲が狭くなる。逆に手持ち前提で被写体を見つめると、まったく違った絵が見えてくる。『ここ』と思ったところにすぐに入っていけるというか、踏み込み方が変わってくる。そういう視点で発見した風景ばかりなので、『これが志賀高原?』という感じに見えると思うんです。でも、今回はそこを見てもらいたい」
ちなみにいま、志賀高原の写真教室は新型コロナの影響で休止している。
「教室は3日間、本当に密着しすぎるくらい密着形式でやっているので、コロナのときはできないんです」
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
【MEMO】萩原史郎写真展「志賀高原―Whisper of the Scenery―」
オリンパスギャラリー東京(9月11~23日)、オリンパスギャラリー大阪(10月2~14日)で開催。