――安田大サーカスは、来年20周年です。クロちゃんとHIRO君は元々お笑いをやるつもりはなかったと聞いていますが、結成当時は大変じゃなかったですか?
めちゃくちゃ大変でしたね。組んだ時点では、2人とも漫才なんてほとんど見たこともなかったですから。
ネタを作っても、2人とも全体の流れを覚えられないから、単語帳を渡して「とにかく自分のセリフだけ覚えてこい」っていうようなところからのスタート。そこまでしても「セリフを言うタイミングがわからない」とかも言ってくるので、「俺が背中を押したら喋れ」みたいなことをやってみたり…。2人とももうロボットみたいな状態でしたね。
――これは「無理だ」とは思いませんでしたか?
厳しいなとは思いましたけど、僕も年齢的に30歳目前でしたし、これがラストチャンスって思っていましたから、こいつらをとにかく何とかするしかないと。だから、練習も、朝から晩までやりました。
(所属事務所の)松竹芸能って、放送作家や社員さんに自分たちのネタを披露する「ネタ見せ」っていうのが週1回あるんですけど、それに1日に何度も足を運んだりもしました。たぶん、1日にそんなに何度も行く芸人なんて当時いなかったと思います。作家さんには「お前ら、また来たんか?(笑)」とかって言われたりもしましたね。
だから、最初、2人とは衝突ばかりでした。クロちゃんもHIRO君も、それまで自由に生きてきて、誰かに制限されたことなんてなかったと思うので、つねにギスギスしていましたね。ひどい時は、殴り合いになったこともありました。
――殴り合い…壮絶ですね。そこから先は順調でしたか?
結成してわりとすぐに、テレビの仕事が決まったりもしましたが、余裕はなかったです。もう戸惑うばかりで、ディレクターの指示にただ従うだけでした。たぶん、あの頃が、いちばん不安で仕事が楽しくなかった時期かもしれません。
当時は、とにかくクロちゃんとHIRO君をたてなくちゃいけないって考えていましたし、僕の役割は「説明書」みたいなものだと思っていました。ただ、そのうち、僕の役割なんかなくても、その時のMCのフリで、2人がボケれるようになると、自分の居場所がなくなったような気もしたりして…仕事をいくらこなしても楽しくなかった。一時は本気で「もう、やめようかな」って考えたりもしました。
でも、僕がたった一人で喋るだけの「漫団超」っていうライブを始めてからは、そんな不安も消えていきましたね。当初は新宿の小さな劇場でお客さんも100人以下だったと思いますが、これが、すごいウケたんですよ。とにかく楽しかった。
元々僕はしゃべくり漫才がやりたくてこの世界に入ったので、やっぱり自分の喋りで笑いをとるって気持ちいいなと。「俺って、やっぱりお笑いやりたいんやな」って、改めて気づけた瞬間でした。