令和2年7月豪雨で氾濫した球磨川の濁流をテレビで見ているとき、私はふと、ある映像を思いだした。それは、昨年10月13日に行われたラグビーW杯の日本対スコットランド戦の会場、日産スタジアム周辺の光景だった。
台風19号の影響で前日まで大雨が降りつづき、その日は、近くを流れる鶴見川から溢れた水がスタジアムに迫っていた。当然、試合の実施は難しいと思われたが、いつの間にか、会場周辺の水は引いていたのだ。そして、私たちは予定どおりに試合を観戦し、日本初のベスト8進出に歓喜したのだった。
なぜこんなことが可能だったのか? 鶴見川の保全活動に関わってきた慶応大名誉教授、岸由二の『「流域地図」の作り方』を読むと、その理由がよくわかる。
タイトルにある流域は、<水系に雨水が集まる大地の範囲>を意味する。水系は川の本流と支流を合わせたものだから、「流域地図」とは、<川を軸にした地図>となる。この流域地図に基づき、日本で初めて「流域総合治水対策」が運用された鶴見川。日産スタジアムがある流域は遊水地の役割を担う公園で、豪雨になると、増水した本流の一部が流れこむつくりになっていたのだ。あらかじめスタジアムは高床式で造られ、水は下を流れる……あの日の光景は決して偶然ではなく、自然の地形を反映した流域地図による成果だった。
<洪水は行政区域内ではなく、流域で起こる>
実は、この本は7年前に刊行されている。温暖化豪雨時代に突入した今、多くの川とともに生きる私たちは、岸の実践に基づく「流域思考」にもっと注目すべきだ。
※週刊朝日 2020年8月7日号