一方、ネット上では「ポリコレ棒」「ポリコレ疲れ」といった言葉も散見する。

「ポリコレ棒でぶっ叩く」とは、「政治的公平性を武器に表現に何でもかんでも文句をつける行為」というような意味だ。これまで楽しんできた表現について急に否定された側が「これもダメなのか……」と「ポリコレ疲れ」することもある。

 ただ、被差別側の歴史からすれば、現代のポリコレはようやく勝ち取ってきた権利。

 日本では1990年代にマスコミによるオタクバッシングがあったが、それを受けた「オタク」側は、2000年代以降、ネット上でオタクへの偏見を排除するレジスタンス的活動を行い、ステレオタイプなオタクの描かれ方に抵抗してきた。その抵抗はそれなりに功を奏したのではないか。

 今思えばあれも、広い意味での「ポリコレ」運動だったように思う。

●トーンポリシング「トンポリ」とも略される

「トンポリ」と略されることもある。社会運動などに加わって声を上げた人に対し、発言の内容ではなく態度や言い方に文句をつけることを指す。つまり、議論の本筋ではない生産性のない批判のこと。

 スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんのケースがわかりやすいだろう。彼女は人類の未来のために、危機に直面していることを指摘する専門家たちの声を聞けと繰り返し発言している。彼女の行動に触発されて運動を始めた若者は世界中にいる。

 しかし、一方で彼女には、世界中の大人たちから「発言が感情的に見える」といったトンポリが寄せられる。「アンガーマネジメントして古い映画でも見に行け」はドナルド・トランプによる彼女に対する発言だ。

 差別を含む社会問題を訴える人にしばしば向けられるのが「そんな言い方じゃ、誰も味方になってくれないよ」という言葉。

 日本の場合、2016年に「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが国会で取り上げられるほど大きな話題となった際に、よく聞いた。しかしそれでは、被差別側が穏当に訴えていた際に、政府やマスコミや人々は、その声を十分にすくい上げていただろうか。答えはNoだろう。

 怒るのには理由があるのだが、それがトンポリによってたやすくまた封じ込められそうになるのは、構造の非対称ゆえである。自分にとって耳の痛いことを言われたとき、人は誰でも「わかるけど、でもそんな言い方しなくてもさ」と言いたくなる。

 その一言で喉元まで出かかったとき、「トンポリ」を思い出したい。

●マンスプレイニング「マンスプ」と略す

「マンスプ」と略す人が多い。「man」と「explain(説明する)」を合わせた言葉だ。

「man」は英語で「人」を示す言葉だが、ご存じのように「男」の意味で使われることも多い。マンスプレイニングの場合、「男」の意味であるようだ。

 つまり、マンスプレイニングとは、男性が女性に向かってご高説を垂れ流す様子を指す言葉である。

 日本でも話題になった『説教したがる男たち』(レベッカ・ソルニット/訳・ハーン小路恭子)の著者自身のエピソードは強烈だ。著者が書いた書籍について「今年出た、とても重要な本を知っているかね」と説明を始めた男がいたのだ。

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シーライオニング、不毛な質問を繰り返す