■「アムラー」が起こしたヘアカラーブーム

 その勢いを時代が後押しする形となった。90年代半ばに歌手の安室奈美恵さんをまねたファッションが大流行。ミニスカートに厚底ブーツを履いた“アムラー”と呼ばれる女性たちが、「ヘアカラーも安室さんのようにしたい」とお店に押し寄せたのだ。

「安室さんは、当時メッシュと呼ばれた、白っぽくなるまで脱色した明るいハイライトを入れたヘアカラーをしていました。ハイライトは明るければ明るいほど、どの場所にどの太さで入れたかがはっきりとわかります。技術力が必要なカラーが流行したおかげで、世間でもお店の中でもカラーリストとして確固たるポジションを築くチャンスとなりました」(岩上さん) 

 ここからさらにヘアカラーのブームは続く。2000年代に入ると全体が明るく、透明感のある「外国人風」のヘアカラーがトレンドとなった。ヘアカラーが社会的にブームとなり、家で手軽にできるホームカラー製品が各社から販売されるようになった。美容室では「ミルクティ」や「アッシュ」と色の名前をオーダーする人も増えた。同時に、髪に対するトラブルも多発するようになった。

 もともと日本人の髪は、一度の脱色では明るくなりにくい。そのため、強力なブリーチ剤を使用し、時間をかけなければ透明感のある髪色にはならない。髪にも頭皮にも大きな影響を及ぼし、繰り返しカラーすることでダメージは深刻になった。

■カラーで髪をデザインする時代へ

 そこでkakimoto armsでは髪全体をブリーチするメニューを全店で廃止し、代わりに「質感コントロール」というテクニックを打ち出した。ツヤや輝きをヘアカラーで作るテクニックだ。細かくとった毛束に、色や明るさの違うカラー剤を塗りわける。そうすることで細かく取った毛束が混ざりあい、全体を見た時に髪にツヤや輝き、立体感が生まれるのだ。

(提供/kakimoto arms)
(提供/kakimoto arms)

 この質感コントロールというテクニックは、脱色で髪がボロボロになってしまった人だけでなく、今までカラーを敬遠していた人からも支持されるようになり、2000年からおよそ7年もの間、オーダーが絶えなかったという。店舗も拡大し、青山店、銀座店、六本木ヒルズ店と相次いでオープン。カラーリストの数は岩上さんを含め、100名を超えた。「ヘアカラーといえばkakimoto arms」という評判が美容業界だけでなく、他の業界でも広まるようになり、モデルをはじめとする芸能人や著名人がこぞって訪れた。ファッション誌、テレビなどにもカラーリストの活躍の場は広がっていった。    

 新たな技術の発信も意欲的に行った。09年に発表した根元は暗く、毛先につれて徐々に明るくなる「グラデーションカラー」は、若者を中心に大流行。インスタグラムで個人が情報を発信できる時代となったことも、追い風となった。モデルやインスタグラマーから発信される情報を元に、ヘアカラーをオーダーする人も増え、多くの人が最新のヘアカラー情報を手軽に取り入られるように。ハイラトを駆使し、髪の動きを立体的にみせる「3Dカラー」や、顔周りを明るくする「ミランダライツ」などはモデルのkakimoto armsのカラーリストが発信するヘアカラーがトレンドとなり、雑誌の一面を飾ることもあった。

根元は暗く、毛先につれて徐々に明るくなる「グラデーションカラー」(提供/kakimoto arms)
根元は暗く、毛先につれて徐々に明るくなる「グラデーションカラー」(提供/kakimoto arms)
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