1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、神田川を渡る高戸橋と鬼子母神前を走る都電だ。
【現在の同じ場所は激変した!? 鬼子母神前など当時の貴重な写真はこちら(計8枚)】
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往年の早稲田停留所から32系統荒川車庫行きに乗車すると、古い家並をかき分けるように専用軌道を走る。一転して併用軌道に変わると次の面影橋停留所に到着する。
都電が走る早稲田線(現・荒川線/愛称「東京さくらトラム」)は旧王子電気軌道から引き継いだ路線で、開通当初の1928年には面影橋が終点だった。停留所の北側に位置する神田川に架かる面影橋を渡り、少し左に歩くと、太田道灌の故事にちなむ「山吹の里」の石碑がある。
面影橋を発車して300mくらい走ると高田馬場駅前に向かう戸塚線との分岐点だ。早稲田線はこの分岐を右折して学習院下方面に向かい、戸塚線は直進して明治通りに上って行った。早稲田線は右に急カーブすると周囲の視界が開け、神田川を渡る高戸橋にさしかかる。
冒頭の写真は、専用橋の高戸橋を渡る32系統早稲田行きの都電を神田川南岸から写している。手前に向かって走ってくる170型は王子電気軌道から引き継いだ車両で、終始荒川車庫を離れることなく、同系の160型と共に1968年まで稼働した。
■デッキガーター構造の鉄橋
都電の専用橋は信濃町編や亀戸編でも紹介したが、この高戸橋はデッキガーター構造の本格的な鉄橋で、都電は川面に轍音を響かせて渡河している。この一帯では神田川の水利で立地した製薬会社や染物工場が、大正・昭和期から盛業していた。画面右側の高田南町界隈はかつて砂利場とも呼ばれ、建築材料の店が軒を連ねていた。
次の写真は高戸橋の近景で、左側の背景に白く輝く建物が1978年に竣工した60階建ての超高層ビル「サンシャインシティ」だ。明治通りの拡幅と神田川の改修工事により、若干であるが橋梁が下流の東側に移設されている。背景右側の木造家屋は高層マンションの街並みに変貌し、かつての面影すらも偲ぶことができなかった。