早稲田線の面影橋分岐点を直進して戸塚線に入る15系統高田馬場駅前行きの都電。面影橋~戸塚二丁目 (撮影/諸河久:1964年12月23日)
早稲田線の面影橋分岐点を直進して戸塚線に入る15系統高田馬場駅前行きの都電。面影橋~戸塚二丁目 (撮影/諸河久:1964年12月23日)

 この地点の別カットは面影橋分岐点の旧景で、分岐を直進して高田馬場駅前に向かう15系統の都電を写している。32系統荒川車庫行きは、ここから右に分岐して高戸橋を渡っていた。現在の荒川線は1978年から始まった新目白通りの建設によって、軌道が画面左側(北側)に移設され、新目白通りの中央をセンターリザベーション方式で運行されている。

■閑静だった鬼子母神前

 高戸橋を渡ると学習院下停留所が視界に入ってくる。進行方向左側には明治通りを隔てて豊島区立千登世橋中学校があり、その後方に学習院大学のグラウンドが所在している。明治通りに都営トロリーバス102系統(池袋駅前~品川駅前/1968年4月廃止)が走っていた時代には、都電32系統とトロバスの並走シーンも見られた。

学習院坂の勾配を上って千登世橋をアンダークロスする32系統荒川車庫行きの都電。頭上の目白通りは交通渋滞が頻繁に起きた。学習院下~鬼子母神前(撮影/諸河久:1963年6月30日)
学習院坂の勾配を上って千登世橋をアンダークロスする32系統荒川車庫行きの都電。頭上の目白通りは交通渋滞が頻繁に起きた。学習院下~鬼子母神前(撮影/諸河久:1963年6月30日)
開削工事は学習院下方向にも及んで、周囲の風景を一変させた。学習院坂を下り早稲田に向かう荒川線の都電。鬼子母神前~学習院下 (撮影/諸河久)
開削工事は学習院下方向にも及んで、周囲の風景を一変させた。学習院坂を下り早稲田に向かう荒川線の都電。鬼子母神前~学習院下 (撮影/諸河久)

 学習院下~鬼子母神前には目白台地に上る最急43パーミルの学習院坂があり、早稲田線は坂の途中で目白通りに架かる千登世橋をアンダークロスしている。次のカットは千登世橋の下をくぐり鬼子母神前に向かう32系統荒川車庫行きの都電で、背後には明治通りが写っている。都電の頭上に目白通りがあり、画面右先に位置して明治通りに連絡する千登世橋上交差点は三差路のため、自動車交通のネックになっていた。

 この次のカットが鬼子母神前停留所の踏切から雑司ヶ谷方面を撮影した一コマだ。鬼子母神前から雑司ヶ谷にかけての都電路線は、雑司ヶ谷坂と呼ばれる下り最急48パーミルと上り最急44パーミルの勾配が続く都電名所の一つだった。アップダウンの路線形態を強調するため、200mmの望遠レンズを装填。雑司ヶ谷から勾配を下ってくる32系統早稲田行きの都電を狙ってシャッターを切った。昭和時代の鬼子母神前から雑司ヶ谷の都電沿線には並行する道路がほとんどなかったので、明治通りや目白通りの雑踏からは想像できない閑静な土地柄で、都電の通過音が心地よかった。
 

雑司ヶ谷坂のアップダウン感を描写するために望遠レンズでフレーミングした作品。雑司ヶ谷から坂を下る32系統早稲田行きの都電。雑司ヶ谷~鬼子母神前(撮影/諸河久:1965年2月11日)
雑司ヶ谷坂のアップダウン感を描写するために望遠レンズでフレーミングした作品。雑司ヶ谷から坂を下る32系統早稲田行きの都電。雑司ヶ谷~鬼子母神前(撮影/諸河久:1965年2月11日)
都電の路線に沿って開削工法で道路トンネルが建設されたため、地表の仮線上を走行する荒川線三ノ輪橋行きの都電。鬼子母神前~雑司ヶ谷(撮影/諸河久)
都電の路線に沿って開削工法で道路トンネルが建設されたため、地表の仮線上を走行する荒川線三ノ輪橋行きの都電。鬼子母神前~雑司ヶ谷(撮影/諸河久)

■風情を一変させた道路工事

 鬼子母神前の都電風景に変化が生じたのが、1998年から始まった東京都市計画道路幹線街路環状第5の1号線の工事だった。この工事は豊島区高田三丁目から南池袋二丁目に至る約1400mに地下トンネル道路と地表道路を建設する計画で、雑司ヶ谷方から鬼子母神前にかけて道路用地が取得された。地表道路の完成時、都電軌道は新目白通りのようなセンターリザベーション方式で敷設される計画だ。この道路の開通により、池袋駅前の明治通りの混雑が大幅に緩和されるものと期待されている。

 この道路工事とは別に、営団地下鉄13号線(現東京メトロ副都心線)の建設工事が2001年から始まった。この付近はシールドトンネル工法で建設され、2008年6月に開業の運びとなった。都電路線の真下に副都心線雑司が谷駅が設置され、駅の入り口が鬼子母神前停留所の東側に設けられた。

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昭和があふれる停留所