名鉄・岐阜市内線で活躍するモ570型。当初は美濃線にも充当されたが、晩年はワンマン仕様に改造され、岐阜市内線で役目を終えた。長良川に架かる忠節橋を渡る一コマ。西野町~早田 (撮影/諸河久:1989年3月2日)
名鉄・岐阜市内線で活躍するモ570型。当初は美濃線にも充当されたが、晩年はワンマン仕様に改造され、岐阜市内線で役目を終えた。長良川に架かる忠節橋を渡る一コマ。西野町~早田 (撮影/諸河久:1989年3月2日)

 五番目のカットが名古屋鉄道・岐阜市内線のモ570型だ。5両が在籍し、ワンマン化改造前はビューゲル集電だった。塗装は当初ライトグリーンとクリーム。晩年はスカーレット一色に変更された。車体長12300mm、車体幅は2236mmで、台車は住友KS-40J型を履いていた。1950年帝国車輛製で岐阜市内線廃止まで稼働した。名古屋鉄道・岐阜市内線は営業距離7700m、軌間1067mm、電車線電圧600Vで、2005年4月に廃止されている。

とさでん交通200型は14両が現存している。写真の206もそのうちの一両で、ワンマン仕様に改造され矍鑠(かくしゃく)と走り続けている。趣のある風情の後免線を走る一コマ。一条橋~領石通 (撮影/諸河久:1986年11月24日)
とさでん交通200型は14両が現存している。写真の206もそのうちの一両で、ワンマン仕様に改造され矍鑠(かくしゃく)と走り続けている。趣のある風情の後免線を走る一コマ。一条橋~領石通 (撮影/諸河久:1986年11月24日)

 最後のカットが土佐電鉄(現とさでん交通)の200型だ。この200型は1950年から1956年まで5次に亘って製造され、最盛時には20両が在籍した。写真の206は車体長11600mm、車体幅2195mmとやや小振りな車体だ。台車は日立SA-W2型で、1952年日立製作所の製造。当初はビューゲルを使用していたが、後年、Zパンタに換装し、車体更新も施工された。車齢60年を超した現在もバリバリの現役で活躍している。とさでん交通は営業距離25300m、軌間1067mm、電車線電圧600Vで、はりまや橋にある「ダイヤモンドクロス」は路面電車の名所として全国に知られている。

 都電6000型は荒川車庫に静態の6086が保存されているが、営業線を走ることはない。とさでん交通を現役で走る200型の姿から、戦後復興に奔走した都電6000型をアフターイメージすることができる。

■撮影:1969年4月20日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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