■虎ノ門交差点を最後まで走った9系統
最後のカットは桜田通りを走る8系統中目黒行きの都電。この日は「成人の日」で、祝祭日の都電には日章旗が掲揚されていた。画面手前左側から虎ノ門線に合流する軌道は、9系統の迂回運転のため新たに敷設された連絡線だ。筆者の立ち位置が9系統渋谷駅前行きの乗降場で、浜町中ノ橋方面の乗降場は線路を渡った画面左奥に位置した。右側に大きく写っているのが、先ほどから話題にした「虎の門」表記の停留所板だ。
背景は霞が関の官庁街だが、戦後の姿から脱却する以前の古い庁舎が冬の陽だまりの中に写っていた。
先日、近景を撮りに虎ノ門に出向いたが、半世紀前と変わらないのは文部科学省や財務省の庁舎だけで、他の省庁の庁舎のほとんどが建替えられていた。画面右側が改修中の日本郵政本社ビル(旧郵政省庁舎)、その左側が経済産業省になり、その奥に農林水産省の庁舎が続いている。
虎ノ門交差点から都電の撤退が始まったのは1967年12月10日で、3系統、6系統、8系統が廃止された。唯一、虎ノ門を走っていた9系統は行き先を渋谷駅前~新佃島に変更して残存したが、1968年9月28日に廃止された。
あれから52年。虎ノ門はますます繁栄するだろう。だが、駅名しかり町名変更しかり、歴史が息づかなくなるのは一抹の寂しさを覚える。
■撮影:1965年9月11日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経て「フリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。
※AERAオンライン限定記事