こうした考えに立って、『世界を知るための哲学的思考実験』は書かれている。したがって、本書は思考実験それ自体がテーマとなるのではなく、むしろ問いの中心にあるのは、思考実験によって理解すべき「世界」の方である。しかし、世界を理解するために、どうして思考実験が、しかも「哲学的」思考実験が必要となるのだろうか。
その根本的な理由は、問われているのが「来たるべき世界」であるからだ。それは、現時点では、その予兆は感じることができるとしても、まだ明確な形を取ってはいないような世界なのである。
この世界を考えるには、想像的な方法で問いを立てる思考実験が適している。「もし~ならば、そのときどうするか」を考える思考実験は、「来たるべき世界」にアプローチする貴重なツールとなる。
とはいえ、未来世界論であれば、他の学問的方法でもよさそうに思われる。それなのに、どうして「哲学的」という限定をつける必要があるのだろうか。何か小難しい言葉を使って、さも深淵そうに語るためだろうか。
ここで、「哲学的」と限定したのは、あらかじめ確定した知識を前提にして、それを他の場面に応用するようなやり方をしないためである。自明と思われた知識を絶えず問い直すことが、伝統的に哲学と呼ばれる活動を突き動かしている。「来たるべき世界」については、すでに出来上がった常識をいったんは白紙に戻して、ゼロから出発する必要があり、そのためには哲学的な問い直しが有効に働くのではないだろうか。
いま現代世界は、大きな転換点に立っている。バイオテクノロジーや情報テクノロジーの飛躍的な発展によって、近代において自明視されてきた人間主義が終わりを迎えようとしている。近代を制度的に支えてきた資本主義や民主主義が、機能不全に陥っている。経済発展と人口爆発をもたらした近代社会は、その限界に達しつつある。こうした大転換の時代には、哲学的な思考実験が必要なのではないだろうか。同時代人として、一度手に取って、ぜひともご検討いただきたいと願っている。