週刊朝日ムック『歴史道VOL.6』では、幕末を大特集。代表的な雄藩のなかから厳選した9藩と幕府を、「政治・外交力」「経済力」「軍事力」「人材」「モチベーション」の5つの項目でランキングした。ちなみに雄藩とは江戸時代に勢力を誇った大藩のこと。僅差ではあったが首位に立ったのは薩摩藩、2位は長州藩だった。幕府を抑えたこの二藩の実力を分析してみよう。
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●第1位 薩摩藩
「婚姻政策で幕府との結びつきを強め、幕末の雄藩のなかで傑出した存在となる」
○薩摩藩
国名/薩摩国(鹿児島県) 藩庁/鹿児島城(鹿児島市)
主な藩主家/島津氏 石高/77万石
■政治・外交力、軍事力など3項目で満点の評価を得た
幕末の薩摩藩主島津斉彬は、水戸藩の徳川斉昭、越前藩の松平慶永(春
嶽)のほか、老中阿部正弘とも結んで幕政改革を図るとともに、公武合体によって幕藩体制を安定化させようとするなど、政治・外交力を存分に発揮していた。
しかも、薩摩藩の政治・外交力は、公的な面にとどまらない。島津斉彬の養女天璋院篤姫は、13代将軍徳川家定の御台所になっており、私的な面でも幕府との結びつきは強かった。幕政は、名目的には将軍による親裁で行われたが、実質的に大奥の意向を無視することができたわけではない。
大奥を統轄するのが、将軍の正室たる御台所の役割であったから、薩摩藩は、天璋院を介しても、政治・外交力を発揮することができたのである。公的・私的な幕府とのつながりをもっていた薩摩藩の政治・外交力は卓越しており、そのため満点の20点をつけた。
薩摩藩の公式的な石高は、俗に「77万石」と称された。ただし、薩摩藩の藩域の多くは火山灰が堆積したシラス台地であり、稲作には適していない。実質的な石高は、その半分程度であったともいわれる。いずれにしても、経済力は高くはなかった。しかも、江戸時代を通じての財政は悪化の一途をたどっており、江戸時代後期には500万両の借金を抱えていたともいう。
ただ、家老調所広郷(ずしょひろさと)による藩政改革により、薩摩藩は、琉球王国との貿易により利益を得ただけでなく、奄美群島のサトウキビを用いた黒砂糖を専売するなどして、莫大な利益をあげていた。そのため、差し引きすると、経済力は17点と評価する。