2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回はかつて工場街だった亀戸・水神森を走る都電だ。
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亀戸といえば焼肉、とりわけホルモン焼きは「聖地」と呼ばれるほど名店が多い街として若者の間でも人気らしい。ほかにも焼き鳥や餃子もあるのだとか。昔からこじんまりした居酒屋はよく見かけたが、食通が集まる人気の街になっているとは、恥ずかしながら知らなかった。
写真は、亀戸駅の南側を走る京葉道路(地元の方は千葉街道と呼んでいた)の真ん中に設置された水神森停留所から、25系統須田町行きの都電を狙った。筆者が立っている安全地帯は25系統西荒川行きの乗降に使われていた。砂町線に分岐する29・38系統は、背後の交差点で京葉道路を右折したところに停留所があった。
■都バスの姿に往年の都電を想う
画面右側の大きな建物が「第二精工舎」の工場だ。「精工舎」は服部時計店(現・セイコーホールディングス株式会社)の製造・開発部門として設立され、ここでは主に「クロック」の製造にあたっていた。ちなみに、都電16系統が走る太平町三丁目の角にあった「第一精工舎」工場は「ウオッチ」の製造を主力にしていた。
都電の背後に見える望楼が東京消防庁城東消防署で、京葉道路の北側に高層建築が林立する以前は、総武線のホームからこの望楼を見ることができた。都電のすぐ横を走るトラックは小杉二郎・工業デザイナーによる「マツダD」シリーズで、隣には古典的なボンネットデザインの「ミンセイディーゼルT80型」も併走している。
現況の写真は水神森停留所を発車した都バス錦25系統錦糸町駅行きで、25系統と聞くと水神森を走った都電のことを連想してしまう。画面右側に所在した第二精工舎は、1993年に幕張の新社屋へ移転した。その跡地に1997年からイベント商業施設「サンストリート亀戸」が開業し、2016年春まで営業していた。現在この広大な敷地に高層住宅が建設中で、完成の暁には水神森の環境も大きく変わるだろう。