■中学生の時に知った「水神森」
中学生時代の筆者は、荒川方面や江東方面に展開する東京都電に統合された王子電気軌道や城東電気軌道の路線に興味を持った。旧城東電気軌道の路線には小松川線と砂町線があり、25系統((西荒川~日比谷公園)、29系統(葛西橋~須田町)、38系統(錦糸堀車庫前~日本橋)の三系統が走っていた。都電系統案内図を観察すると、この三系統の分岐・合流点が「水神森」と呼ばれる停留所であることを知った。水神森の名前から察して、信濃町編で紹介した神宮外苑の杜のような豊な樹木の中を走る都電風景を思い描いていた。
茅場町から38系統の都電に乗って現地踏査に来てみると、水神森停留所の周辺にはわずかに街路樹があるくらいで、第二精工舎の工場を筆頭とした工場と倉庫が軒を連ねるところだった。停留所から東西を見渡すと、小松川線が走る京葉道路(国道14号線)は片側三車線の広さにもかかわらず、自動車の交通は難渋を極めていた。
■「水神森」の由来
水神森停留所の所在地は江東区亀戸6丁目で、水神森という町名はない。その由来を辿ると、ここからJR総武線と東武亀戸線を越した北東方約500mにある「亀戸水神宮(亀戸水神社)」が、どうやら関係している。明治末期まで、広大な境内はうっそうとした松、杉の巨木に囲まれていたところから「水神の森=水神森」と呼ばれた。大正期になると、亀井付近に民家や工場が激増する都市化が進み、往年の樹木は枯死、伐採されて、「水神森」の名称だけが残ったようだ。
亀戸地区に路面電車が敷設されたのは、城東電気軌道による小松川線で、錦糸町~小松川が1917年に開業している。また、水神森から分岐する砂町洲崎線(後年砂町線に改称)の開業は1920年だった。
■センターリザベーションの砂町線
別カットは、車が雑踏する京葉道路から直角に曲がった砂町線を撮影している。ここから大島三丁目までは真直ぐ南に進む。軌道の両脇に道路が並行しているが、自動車の交通量は少なく、敷石の敷設がないセンターリザベーション路線を走っていた。