イラスト:オカヤイヅミ
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 これまでは夏の暑さは根性で乗り切れると考えていたが、そうではないと今年になって、思い知っている。以前は夏にクーラーをつける日はまれだったのに、7月からほとんど毎日、朝から寝る前まで寝室につけている。気温が35度を超えると、居間で寝ているうちの20歳の老ネコが、ここにもクーラーをつけろと訴えるので、スイッチを入れる。どちらも設定は28度である。

 昔とは違って気温の変化が甚だしいし、自分たちをとりまく環境も変化しているので、クーラーなしの夏は難しくなってきているのだなと感じた。しかしそれでも私は生きて行かなくてはならない。幸い、夏バテをしたことがないので、それだけが救いなのだ。

 先日、近所のスーパーマーケットに行ったら、女性が赤ん坊を抱っこした30代半ばくらいのカップルが、カートを押しながらやってきた。彼女は目の前の棚を見ながら、

「もう、面倒だから、毎日、そうめんだけでいいよね。簡単だし」

 と力のない声でいった。私がぎょっとして顔を見ると、精気がなくて顔色もあまりよくなく、とても疲れているようにみえた。すると男性は、

「うん、いいんじゃない」

 と返事をしていた。授乳中だと睡眠不足にもなるだろうし、赤ん坊を抱っこすると暑いから、夏だとより辛いのではないだろうか。しかしそれで毎日そうめんでは、体が持たないのではと、おばちゃんは心配になってきた。

 酷暑でも食べるべきものを食べていれば、体は何とかなるものだ。最初はだめでも、少しずつ食べよう、口に入れようと習慣づければ、それなりに食べられるようになると聞いたことがある。しかし意識的に食べようとする意欲がないとそうはならない。ちょっとでも今よりいい方向に体調を持っていこうとする気持ちはないのだろうか。たとえば食欲がないのであれば、今の自分はどのようにしたらいいのか、持っているであろう手元のスマホで調べれば、いくらでも親切な人たちが教えてくれるのに、それすらしない。食べることの大切さに対して意識が低いのだろう。なかには病気で食べたくても食べられない人もいるし、そういった人はとても辛いだろうとお察しするけれど、そうではないのに面倒だからとか、ケーキでも菓子パンでも、食べてお腹がふくれればいいというものではない。

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