■「君の名は」が数寄屋橋を全国区に
前述のとおり、数寄屋橋は銀座を東西に横断する晴海通りが旧江戸城外濠を渡るところに架けられた橋だ。その歴史は古く寛永期の1629年に架橋されたと伝えられている。関東大震災復興事業によって1929年に石造りの2連アーチ橋が竣工している。
数寄屋橋の名を全国的に有名にしたのは、菊田一夫の原作によるNHKラジオ連続放送劇「君の名は」だった。1952年から1954年にかけて全国放送され、大好評を博した。その舞台となったのが空襲下の数寄屋橋だった。1953年には大橋秀雄監督で松竹から映画化され、その人気は絶大なものとなった。全国で3千万人の観客を動員したといわれ、「君の名は」とともに「数寄屋橋」の知名度を不動のものとした。
東京高速道路建設の進捗にともなって外濠が埋め立てられ、数寄屋橋が撤去されたのは1958年のことだった。旧外濠の上空に架設された道路橋は「新数寄屋橋」と命名された。
ラジオドラマの冒頭に「忘却とは忘れ去ることなり……」と有名なナレーションが入ったが、数寄屋橋界隈を走る都電の姿は決して忘却されず、いつまでも人々の瞼の中に残っている。
■撮影:1964年6月28日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。
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