しかし、記者会見での丁々発止の質疑よりも、オフレコ取材に基づいた独自情報を重視するメディアの手法自体が厳しい環境に置かれている。従来は情報の「出口」を独占することで取材先の権力者に対して一定の交渉力があったが、SNSが普及し、多様なネットメディアが出現するなか、意に沿わないメディアは相手にする必要がなくなったからだ。
安倍晋三首相は2012年の政権復帰後、単独インタビューを解禁。17年の衆院選公示直前には、放送法の枠外にあるインターネットTVに出演し、礼賛に包まれていた。自民党で将来の首相候補と目されている小泉進次郎氏も、こだわりの国会改革案は記者クラブに属していないネットメディアでの先行報道を選んだ。そうした既存メディアの弱体化のもとで、記者会見や首相のぶら下がりなどの公の取材機会も縮み、「質問できない国」になりつつある。
30年あまり続いた平成の時代に「情報革命」が進み、首相官邸に権限を集中させる「政治・行政改革」も行われた。しかし、メディアだけは昭和のモデルを引きずり、新しい環境のなかでどのように一強化する権力から情報を引き出していくのかという構造改革を怠ってきた。望月記者をめぐる問題はその矛盾が噴き出したもので、そこには改革の方向性やヒントも見えてくる。
新聞社の幹部や一時代を築いてきたベテラン記者は、「余計な波風を立てないで欲しい」とこの新書に眉をひそめるかもしれない。私はこの春、40歳になったが、「現場の記者としてあと5年ぐらい」と考えれば、こんな新書を書かずに、昭和型のスタイルを維持して逃げ切った方が一記者としては得だったかもしれない。しかし、現状のままで将来世代に引き渡すことはできない。
この本には改革を阻害してきたベテラン記者の存在や、変革に向けて新たなネットワークを築こうとしている女性記者たちの存在にも触れている。
どうしたら日本のメディアが活力を取り戻し、市民の知る権利のために闘うことができるのか。今の政治のあり方と共に、メディアのあり方を問い直している。
※朝日新書より6月13日発売予定