いま、海外に向けて日本の文化的な魅力を発信する動きが活発だ。それは伝統の食やわざ、美など多方面にわたる。それが功を奏してであろう、訪日外国人観光客数も急増している。これから人口減少が避けられない以上、このままでは、日本経済にかつてのような成長を望める状況にはないと言われる。観光や地域振興への注力は、そうした現実を見据えた立国戦略というわけである。
ところで、ここで発信している日本の文化とは何か。おそらく、多くの方がイメージするのは、教科書で習うような狩りや採集に明け暮れた先史時代の人びとが、大陸からもたらされた水田稲作によって豊かさを手に入れ、やがて力を蓄えた富裕者が大きな権力を握り、この国の統治を進めていく歴史の産物である。たとえば、巨大な古墳や、壮麗な寺院、立派な石垣をもつ近世城郭などは、そうした歴史を体現した文化財として、また観光資源としても、「日本文化」発信に活用されている。こうした文化財は、ある意味、この国の歴史の「代表」である。
とはいえ、それらだけで日本列島文化を語るわけにはいかない。縄文文化の繁栄は東高西低、火焔(かえん)型土器などのような躍動感ある土器や、加曽利(かそり)貝塚のような大規模環状集落は、西日本にはみられない。弥生時代でも稲作を受容しなかった地域があったし、本州で古墳文化が栄えたころ、その外側にあった北海道や沖縄には土地の風土に応じた独自の狩猟採集文化が育まれていた。古代の律令国家が支配した範囲も本州全域にさえ及ばない。しかも、『万葉集』に収められた東歌(あずまうた)から、古代にはさまざまな方言があったことが知られているように、全国一律の支配をめざした国家の内部にも土地の風土に応じた地域文化が存続していた。このように、この国の代表とされる文化も、列島中央部の地域文化にすぎず、その内部にさえさまざまな地域性があったのである。
「日本文化」は、じつは多彩な地域文化の集合体なのだ。生活や社会という側面に焦点を当てれば、日本列島の各地には、長い歴史を通じて形作られてきた多様な生活文化が育まれ、地域ごとに社会的な自他意識がたしかに息づいている。身近なところで「雑煮(ぞうに)」を思い浮かべてもらうとよい。地域によって出汁や味付け、具材や餅の形さえさまざまではないか。近代以降の民俗学が明らかにしたように、地域ごとにさまざまな生業・習俗・信仰・芸能が「日本文化」の多様性を如実に表しているのである。