東ティモール、ラオス、南インド、日本の九州にある南西諸島という、国も環境もそれぞれにまったく違う四つの舞台を物語る小説『うつくしい繭』。タイトルにもなっている表題作は二編目のラオスを舞台にした作品から取られている。
著者である櫻木みわさんは、プロフィールによると大学卒業後にタイの現地出版社に勤務し、日本人向けのフリーペーパーの編集長を務めた。その後、東ティモール、フランス、インドネシアなどに滞在し、帰国後に作家であり思想家・東浩紀氏が代表を務める『ゲンロン』で主催された「ゲンロン 大森望 SF創作講座」を受講。第1回ゲンロンSF新人賞の最終選考に選出され、今作でデビューとなった。という経緯もあり、この単行本には「ゲンロン 大森望 SF創作講座」での課題提出作品などが含まれている。もちろん、単行本化されるにあたり、大幅な加筆改稿がされている。
最初に収録されている東ティモールが舞台の『苦い花と甘い花』を読んでみてほしい。そこには異国であるはずのラオスの空気、暑さや路上に舞う埃、土の暖かさと貧しいものと富めるもの、生きている人々の生活がしっかりとした輪郭で描かれている。
もしかすると、主人公であるアニータが最後に取る行動に驚く人もいるかもしれない。しかし、彼女の行動を誰も否定できないとも思う。同時に、彼女が生まれた時から備わっていた能力もここである変化を見せる。この能力はある種のシャーマン的な能力であり、この異能の力は超能力だったり魔法だと、違う場所では呼ばれるような力でもある。四編にはそのシャーマン的な能力によって繋がっているものがあり、連作短編ではないが、世界観を共有するものとなっている。その世界観を大きな繭と言い換えることもできるかもしれない。
四編それぞれの作品の主人公は女性であり、彼女たちがやわらかな光のように再生する、物語たちだった。
読んでいて非常に心地いいのは、きちんと生活が描かれていることもあるのだろう。それぞれの国において、彼女たちの生活と直結する食事風景やその描写が、生命力や時間に彩りを与えているのもこの小説の素晴らしさのひとつだ。
食べて、飲んで、笑って、泣いて、歩いて、寝て、起きて、朝日が昇って、夜空を星が舞い、同じようで違う日がまた訪れる。その度にわたしたちは実は毎日、再生をしているはずだ。そのためには日々の生活の豊かさを知ることであり、生きる喜びに満ちた衣食住が大切なものとなってくる。しかし、残念ながらわたしたちは日々にこなさないといけないことが多過ぎて忙殺されてしまっている。だからこそ、彼女たちは儀式のように「再生」するために自分を見つめて、日々や自然や時間の豊かさを知ろうとする。あるいは誰かによってそのことを知らされるのである。
繭の中の蚕は品種改良されて、そのほとんどが自由には飛び回ることができないという。長い時間をかけて飛べないように品種改良されたのが現在の蚕たちだ。しかし、飛べる遺伝子を持つものを何代も掛け合わせていくと、繭から出ても飛べるような蚕が現れるようになると聞いたことがある。
収録されている作品の主人公の誰もがそのいわば「美しい繭」の中に入っていく。そして、その中でいつもと同じ肉体を持つ自分でありながら、それまでとは違う自分になって繭から舞い上がる。それはやわらかな光に導かれた再生のように。
櫻木さんはまるで四編目の『夏光結晶』に出てくる「珠」のように、多層な現実、過去、未来、幻想、自然、時間、空間、次元のイメージを読者に喚起させ想像させることができる小説家だと思う。それによって、ひとりの人間の個にある心情風景たちがさざめき、彩りを強くしながら過去から現在にいる自分につながり、未来へ向かわせてくれる。
そう、わたしたちは手を伸ばし、ほんの少しだけ先の未来に触れることができる。
文/碇本学(Twitter : @mamaview)